日本が好きなだけなんだよ

Category : 白人の世界侵略史

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立ち向かった唯一の有色人種④

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立ち向かった唯一の有色人種④

侵略の世界史  ~この500年、白人は世界で何をしてきたか~




独立運動の指導者を養成した日本

真珠湾奇襲成功のその二日後に、英国の極東艦隊の旗艦プリンスオブウエールズとレパルスが、日本艦隊の爆撃でアッという間に轟沈した。これぞ海戦史に残るマレー沖海戦である。このニュースを聞いた英国首相のチャーチルは、大英帝国の凋落を直感し、地に伏して泣いたという。彼は二日間で絶頂の歓喜と、絶望を味わうことになった。陸軍は直ちにマレー半島のコタバルに上陸、住民の歓呼と支援の中、英国東洋の軍事拠点シンガーポールに南下、これを占領してしまった。香港、フィリピン、インドネシアにも電光石火の進撃で、白人植民地の守備軍をわずかの間に征服した。これら緒戦の日本軍の活躍は、長く白人植民地として虐げられていたアジア諸民族を感動させ、独立への夢を駆り立てたのである。

日本が敗戦後、彼らが次々独立することが出来たのは、一度日本によって焚きつけられた独立への夢と決意が、盛り上がっていったからだ。それにはよき指導者がいたからだ。彼ら各民族の独立運動の志士たちは、すべて長い間日本を拠点に活動していた人々であった。かつて岡倉天心が唱えた「アジアは一つ」の言葉は「東洋の理想」としてアジアの人々の共感を得ていた。アジア各国の民族解放の志士たちは、アジア唯一の独立大国である日本に集まり、ここを拠点に活動を続けることができたのだ。日本は長くアジアの人々に対して、植民地支配からの自由を求める際の勇気の源泉、希望の星だったのである。

各地の植民地当局の手を逃れてきた革命家たちは、日本の多くの同志たちによって、匿われ、指導され、援助されていた。福沢諭吉、頭山満、犬飼毅らの活動が有名である。これらの革命家の中で、後に祖国の英雄として称えられた人々を挙げると、インドのチャンドラ・ボース、インドネシアのスカルノとハッタ、フィリピンのリカルテとラモス、ビルマのオンサン、中国の孫文や汪兆銘、韓国の金玉均らである。その多くは日本の終戦後、母国の独立運動を指導し、大統領や政府の高官になっている。中でもインドの詩聖と呼ばれたタゴールは、岡倉天心とともに、アジア覚醒の思想的背景を創った。

日本は戦時中、東南アジアの優秀な青年を日本に集め「南方特別留学生」制度を作り、独立運動の指導者や新生国家建設を担うエリートを養成した。その中には帰国後インドネシアのスカルノのように大統領になった人物もいる。昭和18年11月5日、東條首相はアジア各国代表を東京に集め「大東亜会議」を開いた。これこそアジア最初のサミットとなった。これは、アジアを欧米植民地から解放して、各々が自存自衛の独立国となり、お互いに協力し、共存共栄し、アジア諸国の存在と文化を、世界に主張するものであった。大東亜共栄圏の構想の宣言であった。

大東亜共栄圏の思想は、東京裁判で全面否定されたが、終戦後、2、30年もたたないうちに、NIES、ASEAN諸国のように大繁栄を来した。戦後東南アジアは世界の繁栄のモデル地域として、この理想は見事に実証されたのである。

インドネシア独立のために戦った残留日本兵

インドネシアでは今村均司令官の進駐で、350年間の植民地支配を続けてきたオランダ軍をわずか九日間で全面降伏させてしまった。軍は早速独立の指導者スカルノとハッタを獄中から救出し、建国を急がせた。祖国防衛義勇軍(ぺタ)を編成させて、祖国防衛と独立の戦士を養成させた。日本が敗戦するや英蘭連合軍は植民地を取り戻すべく、早速再上陸してきた。これを迎え討ったスラバヤ戦争で、なぜ素人のインドネシア軍が近代戦の体験がないのに勝てたのか。それは日本軍が連合軍に引き渡すことになっていた武器を、インドネシア人に奪われたと称して、巧妙に裏で渡していたからだ。さらに民兵の素人戦術をみかねて、2000人の日本兵がインドネシア軍に協力したからだ。その半分は戦死したが、今インドネシアの独立の英雄墓地に眠っている。さらに重要なのは、インドネシア軍の中に、日本軍政下で日本人から学んだ民族の独立精神があったからである。

(中略)

インドネシアは昭和20年8月15日、日本のは敗戦が伝わるや、指導者スカルノとハッタは、その二日後早くも独立宣言を行なった。その際、なんと神武天皇紀元2605年の末尾の05をとって独立宣言文の記日とし、国旗も日本に真似て、赤と白の二色旗に決めるほど日本を尊敬、信頼していたのである。戦後日本の自虐史観をとる評者らは、アジア諸国の独立は、みな日本の敗戦後で、各自勝手に自立で独立したもので、日本の力など関係ないと強弁している。事実はインドネシアの例だけでなく、インドも、マレーシアも、ビルマも日本がなければ独立できなかったであり、このことを裏づける現地識者の証言は、いくらでもあげられる。その一人、タイの元首相プラモート氏は前述のとおり、日本のおかげでアジア諸国はすべて独立できた。これを決断した生みの親、日本の12月8日の決断を忘れてはならないと述べている。(P269~P274)

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欧米のアジア植民地支配の歴史


(コメント)
日本は、GHQが無理矢理に改名させた、いわゆる太平洋戦争では敗北したが、アジアの植民地解放を目指した大東亜戦争では、最終的に勝利を収めたのではないか、と思う時がある。よく日本の戦いが「戦いには負けたが、戦争目的は達成した」と評される所以だ。我が身を犠牲にして他国の独立の為に献身するなど、まさしく当時の日本人以外には出来ない行為だろう。白人の過酷な支配に苦しむアジア各地から、独立の志に燃える若者を受け入れ、教育し、後の指導者として育てたのは、まぎれもなく、日本なのである。

日本が大東亜戦争の開戦に追い込まれた最大の要因は、白人国家、特にアメリカの謀略によるものだが、それでも、アジア解放を戦争目的の一つとして戦った日本の偉大さは微塵も損なわれていないように思える。いかに、アジアの植民地が白人の支配に苦しんでいたとしても、戦えば自国が確実に滅ぶような戦争は自分達からは行わないのが、常識的な判断である。日本が大東亜戦争を戦ったのは、生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされたからであり、別に軍部の暴走が原因でも、マスコミの暴走が原因でもない。戦わなければ明日の石油がないような状況に追い込まれたからだ。

追い詰められた末の開戦ではあったが、いかに多くの日本兵が、祖国を守りたいという気持ちに加えて、アジアを解放したいという志を持って戦っていたかは、インドネシア独立戦争に参加した日本兵達の行動を見れば明らかである。日本人に罪悪感を植えつけようと、一方的な自虐史観しか放送しない日本のマスコミや、悪辣な反日教育を行う日教組などは決してこのような事実を教えようとはしない。はっきり言って、自虐史観が三度の飯より大好きな売国政治家達は、日本人というよりは、日本人の姿形をしてはいるが、中味は腐臭を放つ半獣半人のようである。これは日本独自のおかしなサヨク反日思想を持つ人間達にも等しく言えることだ。

最近、選挙の影響で、野党の党首達もテレビに映る機会が増えてきたが、彼らの顔を見るたびに豚が人間の皮を被って言葉を喋っているような錯覚を覚える。豚には失礼な話だが、勉強が出来て言葉巧みな豚が、一票欲しさにブヒブヒ鳴いているように見える。我々日本人は国のために戦った先人達に対して大きな恩義があり、未来の子孫に対しては相応の責任がある。恩義や責任を感じるのが人間だと思うが、恩義も責任も感じずに、平和だ護憲だ反戦だと、ブヒブヒ鳴いている政治家の格好をした醜い生物達に、この国の政治を任せるなど、まさしく狂気の沙汰だろう。次期衆議院選挙においては、豚は豚らしく豚箱に入ってもらい、なんとか人間の政治家に国政を任せたいものである。

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はからずも露呈したアメリカの本音

アメリカは、日本叩き、日本いじめ政策の第一弾として、元来移民歓迎を国是とするはずが、日本移民だけを締め出す排日移民法を制定した(1924年)。ついで日本の在米資産を凍結した。そして軍縮会議や支那事変で日本の軍事力を消耗させると、次はいよいよ直接日本を戦争に誘い込む挑発に乗り出した。まず「石油の一滴は血の一滴」といわれる時代に、アメリカは日本への石油輸出を全面的に禁止した。石油の大半をアメリカに依存していた日本の打撃は致命的であった。

日本は生きるために東南アジアの石油資源に頼らざるをえず、南方進出はやむをえない措置だった。さらに米(A)英(B)中(C)蘭(D)の諸国は、ABCDラインという経済封鎖をして、日本を閉じ込めるいやがらせを実行した。日本はこの危機を脱するため、米国に対しては平和的解決の日米交渉を誠意をもって進めた。野村駐米大使とハル国務長官の日米交渉は、昭和16年3月8日から11月26日までの、九ヶ月にも及んだ。

もとよりアメリカは交渉をまとめる意図はさらさらなく、戦争準備の時間稼ぎにすぎなかったのである。そのため当初から日本側をいらだたせるだけで、解決の糸口は、まったく見つからなかった。アメリカは日本側が到底飲めないことを承知で、次々難題を突きつけ、開戦せざるをえないように挑発しつづけた。そして11月26日、最後通牒としてのハルノートを突きつけてきた。これは明らかに宣戦布告であった。日本よ大陸から出ていけ、日本よ死ねと迫ったのである。

一方日本はそれまで、米国に対して豊かな文明国として尊敬し、友好関係の維持に努めてきた。一度として米国領土を侵略するような意図も行動も起こしていない。してみると、日米交渉は、はじめから日本を戦争に巻き込むための一方的な挑発行為で、米国の日本への明らかな侵略戦争行為であった。村松剛氏によれば、日本のポツダム宣言受諾の報を受けたニューヨークタイムズは、昭和20年8月14日付で、「太平洋の覇権を我が手に」という大見出しの下に、「われわれは初めてペリー以来の願望を達した。もはや、太平洋に邪魔物はいない。これでアジア大陸のマーケットは、われわれのものになったのだ」との記事を載せたという。これによってアメリカは、ペリー以来のすべての行動が、日本への侵略行為であったということの底意を、露呈したことになった。

念願の戦争に持ち込んだルーズベルトの喜び

後に東京裁判において判事の一人を努めたインドのパール博士は、その日本無罪論の中で、ハルノートのような最後通牒を突きつけられれば、モナコやルクセングルクのような小国でも、死を賭して立ち上がっただろうと、日本開戦のやむなき必然を同情をもって判定している。ついに日本は開戦を決意し、山本司令長官の連合艦隊は千島に集結、粛然とハワイに向かったのである。ルーズベルトは敵に最初の一撃を撃たせ、開戦の動機をつくる罠に日本をはめたのだ。真珠湾から新鋭戦艦、航空母艦を除外し、廃船に近い艦を集めて、日本軍の攻撃を誘ったのである。

当時米国ではレーダーが発達していて、日本政府や艦隊の動静は完全に握られていたのだ。日本を戦争に巻き込むカラクリを知っていたのは、大統領とハル国務長官とスチムソン、ノックスの陸海軍長官の四人組だけだった。大統領は全軍に戦争準備を命じたが、ハワイのキンメル司令官には、日本海軍の奇襲が迫っていることを知らせなかった。知らせたらキンメルは対応して、山本の作戦が中止か、変更される恐れがあったからだ。

大統領は日本軍の真珠湾奇襲を、騙し討ちと決め、宣伝し、自国民を怒らせ、発奮させ、開戦に駆り立て、世界史に米の開戦の正当性を残そうと企んだのである。大統領は選挙で、アメリカが攻撃されない限り、国民を戦場には送らぬと公約した手前、よほどのショックを与えねば、国民は戦争に立ち上がらないことを知っていた。かくてルーズベルトは、日本と同時にアメリカ国民をも騙して、無謀な大東亜戦争に突入していったのだ。

時のイギリス首相チャーチルは、アメリカの参戦なくしてはドイツに勝てないので、アメリカの参戦なくしてはドイツに勝てないので、アメリカの参戦をルーズベルトに強く要請しつづけていた。そこで米国は、おとり船を出してドイツ潜水艦の攻撃を誘ったが、ヒットラーはその手に乗らなかった。そこで日本に向かってその罠を仕掛けたのだ。真珠湾攻撃の知らせを受けたチャーチルは、これで世界戦争は勝ったと喜び、早速ルーズベルトに「おめでとう」の電報を打った。

世界中が喜んだ日米の開戦

日米戦はルーズベルトが巧妙に仕掛けた謀略であることを告発したのは、米国の歴史学者チャールズ・ビアードであった。彼の著書『ルーズベルト大統領と日米戦争』は、終戦三年後の1948年には出ていたのに、日本では封印されていた。

さらにこのあたりの事情を裏づける確実な史料は、ルーズベルトの長女の夫、カーチス・B・ドールの家族内からの告発の書、『操られたルーズベルト』(馬野周二訳、プレジデント社)で決定的となった。大統領一家の一員である娘婿のドールが語る、驚くべき真実の証言である。ルーズベルトは会食の席で家族に言った。「私は決して宣戦はしない。私は戦争を造るのだ」そして真珠湾の前日の会食で、「明日戦争が起こる」とつぶやいていたという。

「リメンバー〇〇」はアメリカが開戦の動機をつくる常套手段であることを前に述べた。実は真珠湾奇襲の成功は、世界中を感動させ、悲しんだ国は一つもなかったという事実を確認せねばならない。当のアメリカは大統領が日本に仕掛けた罠がかかったので喜んだことはもちろんだ。世界一の死の商人国の米国民の大部分も、密かに戦争を期待、歓迎していたので内心喜んだはずだ。

英国首相のチャーチルが飛び上がって喜んだことは、言うまでもない。仏・蘭の連合国側も、皆歓迎したことはもちろんである。一方スターリンも、敵同士の会戦は大歓迎であった。枢軸側のヒットラーも、ムッソリーニも、仲間が立ち上がったと喜んだ。奇襲成功による日本国民の感動はもちろんだが、アジア、アフリカの被抑圧植民地民は、有色人種の代表の日本が白人を攻撃して、大成功したというニュースを聞いて、植民地解放近しと奮い立ったのは当然であった。
 
タイの元首相プラモート氏は、これはアジアの忠臣蔵だ、十二月八日を忘れてはならない。アジアの独立国を生んでくれたお母さんの日本の決断に感謝しようと叫んでいる。以上のように真珠湾の奇襲成功は、世界のどの国も悲しむどころか喜んだのだ。これを境に世界史が、世界地図が大転換することになったからである。(P264~P269)

(コメント)
現在使われている学校の歴史教科書では、日本の開戦にいたる経緯は、都合よく歪められたり、省略されていたりするものが多い。軍部の暴走で片付けられてしまうことも少なくないが、日本が大東亜戦争に踏み切らざるを得なかった最大の理由は、石油を始めとする重要資源をABCD包囲網で絶たれたからである。現代日本でも同じことをやられれば、国家が滅亡するが、既に国土を在日米軍によって占領されているので、開戦せずに諸手を挙げて降伏するしかないだろう。

大日本帝国は戦う力があったので、石油の備蓄が尽きないギリギリのタイミングまで交渉し、アメリカが交渉に応じなかったので、やむなく開戦したのである。南進しなければ国家滅亡の危機だったのであり、当時、植民地で奴隷のように扱われていた東南アジアの現地民が独立して国家を運営し、貿易を通じて石油などの重要資源を日本に輸出してくれることが、日本の国益にもっともかなっていたのである。だから日本軍は、東南アジアの占領地で軍政を施し、現地民を、教育、訓練し、組織化して、彼ら自身で国を守れるように指導したのだ。

ルーズベルトを始めとする、当時のアメリカ白人の指導者層のずる賢さと残虐さは特筆すべきものがあるが、彼らの罠の悪辣なところは、罠と知っていても避けようがないところにある。世界の大半を手中に収めた、侵略民族アングロサクソンの本領発揮といったところだろう。大東亜戦争で多くの日本人が白人に殺され、国土も焦土と化し、原爆まで落とされたが、それと引き換えに、戦後、欧米は植民地のほとんどを失い、白人の世界征服は見事に頓挫、有色人種は白人の過酷な支配から解放されたのである。

これほどの偉業を成し遂げた先人達が祀られた靖国神社に、日本の首相が参拝しないのは理不尽としか言いようがない。極言すれば、大東亜戦争で利益を得た有色人種の国々の代表は、靖国神社に毎年訪れて参拝すべきだと思う。民主党の公約のように、靖国神社と別個の慰霊施設を造るなど、もってのほかである。英霊達は「靖国で会おう」といって死んでいったのだ、それを無視して、中国や韓国のいうがままに、別の慰霊施設を建てるとは、まさに死者の顔に泥を塗りこむ愚行としかいいようがない。それこそ、毎年、広島や長崎で、猫も食わないような下らない平和宣言を出すより、核武装をして、中韓を黙らせ、首相が堂々と靖国参拝を行った方がはるかに国益にかなっているし、慰霊にもなるだろう。

毎年、広島や長崎の平和式典で繰り返される、「過ちを繰り返しません」という言葉は、アメリカの白人が懺悔すべき言葉であり、原爆の一方的な被害者である日本人が言ってもほとんど意味はない。単なる日本の弱体化、非核化を目的としたプロパガンダの一環に過ぎない。日本がアメリカの同盟国というのならば、在日米軍の司令官はなぜ広島や長崎で謝罪をしないのか、それこそ問題にすべきだと思うが、下らない反日平和セレモニーを何万回繰り返しても、犠牲者が浮かばれるとも思えない。本当の慰霊を考えるのならば、アングロサクソン並みの狡猾な頭脳で、二度と日本で核の犠牲者が出ないように、核武装も視野にいれた効果的で合理的な国策を考えるべきではないだろうか。

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日本追い落としをはかるアメリカの深慮遠謀

日露戦争における勝利で、日本は、ひとまずロシアの中国、満州侵略を食いとめることができた。さらにその勝利は、大国の抑圧に苦しむ多くの国家、民族を狂喜させ勇気づけた。しかしその裏で、日本の勝利を快く思わない国もあった。それが昨日までの“盟友”アメリカ、イギリスであり、ロシアも復讐の機会を虎視眈々と狙っていた。一難去っても、日本には心休まる暇は与えられなかったのである。アメリカは、日露戦争終結までは好意をもって日露講和会議を仲介してくれた。満州に野望を持っていた米国にとって、日本がロシアの満州進出を阻止してくれるのは、好都合であったからだ。

ところが日本の強大化は、アメリカにとって、そのアジア・太平洋覇権、中国市場独占に邪魔な存在になるものと直感し、一変して日本を仮想敵国に位置付けるようになったのである。時のセオドア・ルーズベルト大統領(後のフランクリン・ルーズベルト大統領の叔父)は、日本打倒のオレンジ計画を国策とした。これは日米戦のあらゆる場面を想定した侵略戦争計画であった。以後の日米交渉、開戦挑発から終戦、占領政策など、すべて、この日本侵略計画で貫かれている。大正三年(1914年)のパナマ運河の開通から、アメリカは太平洋はわが国の海とばかり、縦横無尽の活動を始めた。このアメリカのアジア・太平洋への野望を妨げる勢力としても、日本の存在は目障りだったのである。

昭和七年(1932)、フランクリン・ルーズベルトが大統領に当選した。彼はオレンジ計画を信奉し、当初から日本を極端に嫌い、憎み、在位四期の長期政権下、一貫して日本打倒の謀略に情熱を傾けていた。彼は日本憎しから、終わり頃には、スターリンの策謀にも乗せられて、第二次大戦においてもスターリンに漁夫の利をさらわれることに気付かなかった。第一次大戦終結のパリ講和会議(1919年)で、日本は人種差別撤廃を強く提案し、過半数の賛成を得たのに(委員19名中、11名の賛成)、議長のアメリカ大統領・ウィルソンは、英国と組んで、このような重要な決定は全員一致でなくてはならないと、否決してしまった。この提案が可決されると、植民地を多く持つ白人列強に都合が悪いからである。米英はワシントン軍縮会議を開き(1921年)、海軍主力艦隊総力を米5、英5、日3に決めさせた。この不平等な傾向は、ロンドン会議(1930年)にも及んだ。英米は日本の軍事力を最小に抑えて、日本との開戦に備えたのである。

いよいよ満州に狙いを定めたアメリカ

アメリカは、白人植民帝国主義の歴史で、最後に遅れて登場した国だ。アメリカが、アジア大陸にその侵略の矛先を向けた頃には、英仏などの白人先進国にほとんど占領されて、残っていたのは満州だけだった。ここに無理に進入し、割り込もうとすれば、先発の日本と衝突するのは目に見えていた。満州には、日露戦争以来の日本の利権があり、すでに五族共和を理想とする満州国が成立していたのだ(1932年)。そんなことにお構いなしに、アメリカは日本を満州から追い出し、利権を独り占めしようとたくらみ、次から次へと日本叩き政策を採って、日本を挑発し続けた。満州は緯度の上からも、広さからも、米本国と類似し、資源が豊かであり、可能性が高い土地である。米国がここにこだわる意味があったのである。

かくて満州の利権をめぐって、先発の日本と後発の米国が最終対決戦に入るのは時間の問題と、世界の世論は見ていた。戦後の日本の進歩的文化人は、戦前の日本は、西欧の植民帝国主義を真似て、遅れて大陸に侵略した、後発の植民地主義国だったと見なしているが、これは全く違う。その頃までに中国大陸や東南アジアは、すべて地球の反対側の白人らが占領しつくしていた。中国の要所は英、仏、独、ロシアに蚕食されていた。もし日本の力がなければ、満州も朝鮮も白人傘下に入っていたはずである。日本が生命線の朝鮮半島や満州に進出したのは、白人のアジア侵略を防ぎ、巻き返すための当然の反撃だったのである。日本の行為は、白人のアジア支配と同日に論じられてはならない。日本のそれは近隣諸国と日本の生命線を守るための自衛であり、白人らのそれは、すべて植民地拡大の侵略であった。

支那事変のは米ソの代理戦争だった。

大東亜戦争の日本の真の敵は、前門の虎、アメリカのルーズベルト大統領、後門の狼、ソ連のスターリン、この二人だった。二人とも白人に刃向う唯一のアジア人としての日本を憎んでいた。特にスターリンは、日露戦争の敗北の仇を、いつかは晴らしてやろうと、陰惨な国際的謀略を策していた。彼は戦わずして勝つ孫子の兵法を巧みに使った。それは、

一つ、敵同士を戦わせる
二つ、できるだけ長期戦に誘導する
三つ、両者が疲れ果てた時、割って入って漁夫の利を得る

だった。ソ連にとって英独も日米も資本主義国で敵である。そこでまず資本主義国同士を戦わせ、混乱させ、最終的には世界共産革命を完成しようとたくらんでいた。第二次大戦で彼はこれを見事に実践して成功した。領土を拡張し共産国を増やし、戦争の目的を達したのはソ連だけだった。この点、ルーズベルトも完全に騙されたのだ。悪知恵ではスターリンはルーズベルトより、はるかに上手だったのである。支那事変の発端の盧溝橋事件は、スターリンが後ろで糸を引き、共産党軍に仕掛けさせた罠であった。蒋介石軍と日本軍を無理に戦わすためだった。日本側がいくら隠忍自重、不拡大方針を採っても、中共は日本人虐殺の通州事件、上海事件といったテロ事件を次々と起こし、日本軍を大陸のドロ沼にモグラ叩きのごとく誘い込んだのだ。日本軍をこの罠に完全にはめたのだ。

支那事変は、日本が支那大陸に進んで侵略戦争を仕掛けたものでなく、終始反日ゲリラとの戦いだった。それは、日本軍を大陸に誘い込み、勢力を消耗させるための米ソのワナだった。米国は援蒋物資を送って日本を疲れさせ、次の日米戦を有利にするための準備をしていた。蒋介石の国民党軍にしても、共産党軍との来るべき対決を考えると、日本戦に深入りするすることは得策ではなかったが、いつのまにか、身動きがとれないようにされてしまっていた。支那事変の性格を一言で言うと、蒋介石と日本が、米ソの謀略で無理やり戦わされた戦争である。

(コメント)
本来、政治家というものは、自国や他国の歴史を冷静に分析し、そこから様々な教訓を得て、自国の利益のための国家戦略を練るべきだが、日本が大東亜戦争に追い込まれるまでの、スターリンやルーズベルトの謀略が見抜ける政治家が、現在の日本に何人いるだろうか。もちろん、こういったことは学校では教えてくれず、仮に教えても、アカだらけで反日性に溢れる学会から、田母神論文のように根拠もなく異説のレッテルを貼られてしまうだけだろう。だから東大を出た海棲哺乳類のような顔をした野党の党首が、恥ずかしげもなく「平和憲法死守」などというタワゴトが言えるのである。

歴史から教訓を得て自国の未来に生かせるような人間でなければ、国家100年の大計は立てられない。護憲信者や9条信者は、自国の正史を歪曲して他国の国益に貢献するキティー揃いだ。大日本帝国=悪で思考が停止している人間は、政治家には著しく不向きであり、反日市民団体の構成員レベルの人間が国会議員として国から給料を貰っている事実は、日本始まって以来の国家的なコメディーと言えそうだ。100年後の日本が健全さを取り戻していたら、一世を風靡したキ〇ガイの集団として長く語り継がれることだろう。

サヨク政治家の批判はさておき、日露戦争後の日本の状況を分析すると、出る杭は叩かれるではないが、欧米、特にアメリカが日本に対して警戒心を抱き、長期的な日本侵略プランを練っていたことが分かる。アメリカは満州に対して領土的な野心があり、日本がアメリカに屈従すれば良し、そうでなければ叩き潰す気満々だったのだろう。白人列強と渡り合える、唯一の有色人種国家に対する人種的偏見も大いに関係していたはずだ。なにせ当時のアメリカでは人種差別が合法であり、アパルトヘイトじみた政策が平気で行なわれていたご時勢である。他の白人支配のアジアの植民地では、現地民は最下級人種としてサルのように扱われていた。ルーズベルトやスターリンが目障りな日本を陥れる策略を巡らせていたとしても驚くには値しないし、むしろそれが自然とみるべきである。

白人の身勝手な日本人差別思想の代表的なものが、いわゆる黄禍論であるが、過去500年の世界史から見ればむしろ白禍論こそが正論である。現在でもそれは続いており、白禍の元凶であるアメリカとアメリカを支配する国際金融資本が健在な限り、この状況は簡単には変わらないだろう。近年では大東亜戦争で漁夫の利を得た中国共産党が世界中で災いを引き起こし、日本の安全にとっても脅威となっている。歴史を自由自在に捏造し、都合よく宗主国を変えて利益を得ようする韓国や北朝鮮は見苦しいだけだが、いずれどこの国からも信用されなくなり、滅亡の道を辿るのかもしれない。このような国に善意で援助を施しても、どぶ川に清水を注ぐようなもので、一切が無駄になるだけであり、既にそれは日韓併合以来の歴史で証明されている。卑怯者の末路は破滅だけだと信じたいものである。

白人の狡猾な罠にはまり、大東亜戦争で敗北して以来、経済的には発展したが民族的にはあらゆる面で衰退し、かつては教養が豊かで勇敢で気骨のあった日本人も今は昔、風紀は乱れ放題で、反日マスコミに洗脳されたオウムのような日本人が多くなってしまった。男性は女性化し、女性が男性化する異常な状況も見られる。すべては反日勢力の思惑どおりだが、その総決算が民主党政権の実現なのだろう。民主党政権になれば、アメリカとの関係を見直せると糠喜びをするブログもあるようだが、そんな生易しいものではない。マスコミとグルになって政権運営を行なえば、売国版のナチスが誕生し、恐ろしい状況になることは目に見えている。一度政権を渡してしまえば、自民党がいくら頑張っても、選挙で引っくり返すことも出来なくなるに違いない。確かにアメリカは潜在的な敵国だが、今批判する相手はアメリカではない。民主党やマスコミの背後でうごめく、統一教会に代表される特定アジアの反日勢力こそが、差し迫った当面の危機なのである。

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