ペリリュー島で島民達に祀られる英霊達
ペリリュー島で島民達に祀られる英霊達
ペリリュー島は、太平洋戦争時の激戦地で、日本軍との圧倒的な戦力差にも関わらず、米軍が大きな損害を出した場所として知られている。現在、ペリリュー島は親日のパラオ共和国に所属し、現地の人達の中は、今も日本人を慕い、日本名を持つ人が数多く存在している。
日本兵慰霊の為に建てられたペリリュー神社。
ミッドウェー海戦での敗北以降、戦局は日に日に悪化し、ついに戦火はペリリュー島の目前にまで迫ったが、その時に現地住民に対してとった、日本軍の思いやりに満ちた行動は大和魂の名に恥じぬものがあった。
以下http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/nagoshi/palau.htm のサイトより引用
ここで特筆しておかねばならないことがあります。ペリリュー島には、それまで現地住民が住んでいました。島民は白人の統治と日本時代を身をもって経験しているので、大人も子供も、日本軍と一緒に戦う決意を持っていました。しかし日本軍としては、住民を戦火に巻き込んではならないという配慮から、船舶の乏しい中、空襲を避けつつ夜間を利用して全員をパラオ本島に退避させました。この誠意が通じたのか、戦いが終って帰島した彼らは、日本人の遺体を見て泣きました。「アメリカ人は、日本人の遺体には見向きもせず、自国兵の遺体だけを整理した。ここに、征服民族の本性を見る」として、島民はこぞって日本軍の遺体を葬りました。日本の人達がいつ来てもよいようにと、その後も墓地の清掃に心掛けました。
現在も島民の親日感情は極めて強く、沖山豊美(やまとよみ)という日本名を持つ女史は、日本統治時代をなつかしみ、「愛国行進曲」を間違わずに歌ってみせ日本人と見れば、「日本という国は何千年来の伝統を持ち、独自の文化を創りあげてきた。その結晶が天皇と教育勅語だ」という趣旨を、熱っぼく語り、日本人の度胆を抜くそうです。さらに彼らは、ペリリューを守って玉砕した一万人余の英霊を決して忘れていません。日本から遺骨収拾に行くと、「戦死者は母なる大地ペリリューに抱かれているのだ。収拾などしないで、静かに眠らせてほしい」と言うそうです。現在、島の中央部に近い「島民墓地」の一角に、高さ約四メートルの「みたま碑」(三角錐型)が建っています。それを中心に、日本の各団体によって三十数基の慰霊碑が肩を寄せあうように建立されました。
ペリリュー島にはオレンジ・ビーチと呼ばれる海岸があるが、これは戦死した日本兵の死体で海岸が赤く染まったことに由来している。ペリリュー島の現地住民の避難については、まだ在日に牛耳られていなかった頃の毎日新聞に掲載された、下記のような逸話が伝えられているので紹介したい。
遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。
「あそこでみんな死んでいったんだ・・・」
沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。
太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。
老人は村の若者達と共にその作業に参加した。
日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。
やがて戦況は日本に不利となり、
いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。
仲間達と話し合った彼は代表数人と共に
日本の守備隊長のもとを訪れた。自分達も一緒に戦わせて欲しい、と。
それを聞くなり隊長は激高し叫んだという
「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」
日本人は仲間だと思っていたのに…みせかけだったのか
裏切られた想いで、みな悔し涙を流した…
船に乗って島を去る日 日本兵は誰一人見送りに来ない。
村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。
しかし船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきた。
そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。
先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。その瞬間、彼は悟ったという。
あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと・・・。
現在、ペリリュー島には日本兵の慰霊の為に、ペリリュー神社が建立されており、現地の人達によって厚く祀られている。その建立にあたっては多大な現地の人達の協力があったことは言うまでもない。
ュー島の人々
また、ペリリュー神社には、米軍ニミッツ元帥による以下の日英2文が記されている。現地住民を避難させた日本軍は、圧倒的に不利な状況の中で、自軍と同数の1万人の死傷者を米軍に与え、戦史に残る勇敢な戦いぶりを示した。恐らく、その鬼神のような戦いぶりが、敵将の心をも動かしたのではないだろうか。
「Tourists from every country who visit this island should be told how courageous
and patriotic were the Japanese soldiers who all died defending this island.」
「この島を訪れる、もろもろの国の旅人たちよ。
あなたが日本の国を通過することあらば伝えてほしい。
此の島を死んで守った日本軍守備隊の勇気と祖国を憶うその心根を……」
ニミッツ提督の言葉を今に刻むペリリュー
神社の石碑
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