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マレーシアに解放と近代化をもたらす

マレーシアに解放と近代化をもたらす


■参考資料 : マレーシア マハティール首相  黄文雄(台湾の評論家)著 「罠に嵌った日本人」より


「日本の戦争責任を問うならば、それより以前、非人間的な支配と収奪をつづけた欧米の宗主国の責任はどうなるのか。日本が来たことで植民地支配から解放され近代化がもたらされた」

■参考資料 : 1991(平成3)年12月 日本軍の上陸50周年特別式典にてマレーシア ケランタン州(首都コタバルがある州)副知事ロザリー・イソハック


 「1991年、私達は日本のコタバル上陸50周年を祝いました。これがケランタン、つまり当時のマラヤにとって、意義ある出来事であったからです。ここコタバルは、日本軍最初の上陸地です。私は、戦争博物館の館長として記念行事を担当しましたが、多くの人がこの重要な出来事を、長く記憶に留めていただきたいと願っています。」

■参考資料 : マレーシア マラヤ大学副学長ウンク・アジス


「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声を上げました。敗れて逃げてゆくイギリス軍を見たときに、今まで感じたことのない興奮を覚えました。日本軍は永い間アジア各国を植民地として支配していた西欧の勢力を追い払い、とても白人には勝てないとあきらめていたアジアの民族に、驚異の感動と自信を与えてくれました。」

■参考資料 : マレーシア ラジャー・ダト・ノンチック元上院議員(1941年当時16歳)


「日本軍がもたらした『大和魂』のような考え方をもつことは、独立のためにどうしても必要でした。日本軍政下の訓練の結果、日本が降伏した後、英国人が戻ってきて植民地時代よりも悪質な独裁的制度をマレーシアに課そうとしたとき、人々は立ち上がったのです。」

■参考資料 : マレーシア ラジャー・ダト・ノンチック元上院議員.


「新国家マラヤ連邦の建国の基本策と具体策は当時のマレー人青年の日本グループによって進められたと言っても過言ではありません。
あの当時の国家計画庁本部は、昭南、マラヤの両興亜訓練所や日本に留学した南方特別留学生の同窓会の雰囲気でした。」

■参考資料 : マレーシア外務省情報センター所長ニック・モハマド


「これまで独立なんて考えたこともなかったので、徐々に植民地にされたのですが、日本の軍政下で反植民地主義に目覚めたのでした。民族意識は若者に影響を与え、彼らはもはや怠けてはいませんでした。皆、立ち上がったのです。これまでになかった大変貴重な3年と8ヶ月の経験でした。」

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