高松宮殿下の硫黄島慰霊
以下は皇室の高松宮殿下が昭和46年に太平洋戦争の激戦地、硫黄島を訪れた際の慰霊の様子である。
■硫黄島の高松宮殿下 〈初出・『明日への選択』平成10年2月号〉
『高松宮日記』全八巻の完結を前に、『This is 読売』一、二月号に連載された高松宮妃殿下と作家の阿川弘之氏の対談の中に、初めて紹介されるエピソードがある。昭和四十六年三月、高松宮殿下が硫黄島戦跡をご訪問になった時のことである。
硫黄島は大東亜戦争末期、米軍七万五千の猛攻を、二万余の日本軍将兵が祖国防衛のため、一ヶ月以上に渡って奮戦し玉砕(全滅)した島である。戦後、昭和四十三年まで米国の管理下にあったため、殿下のご訪問当時は、まだ未整理の洞窟があり、遺骨はそのまま散乱していたという。殿下が先ずお訪ねになったのは、米軍の火焔放射器でやられ、ブルドーザーで生き埋めにされかけ、苦しみもがきながら脱出を試みた兵隊たちが、折れ重なって死んだ跡地だった。「前もっての説明何もなしで洞窟の前へ立たれた殿下は、ハッと息を呑む気配をお見せになり、やがて地べたに正座し、両手をついて首を垂れて、暝想状態に入られた。一言もおっしゃらないから、何を念じていらっしゃるのか祈っていらっしゃるのか分からないけれど、随行の者みな、電気に打たれたような気分だったと聞いております。大分長い時間そうしていらして、やっと立ち上がられた」
次にお訪ねになったのは、遺骨の整理が既に済んでいる壕だった。とはいえ、拾い尽せなかった骨もあり、至る所に散らばったままの骨片もあった。仕方なしに海上自衛隊駐屯部隊の隊員も、ふだんは靴で遺骨を踏んで歩くようになってしまっていたという。 「ところが、殿下はためらわれた。そうして、つと靴を脱ぎ靴下も脱ぎ、素足になって、骨片の散らばる洞窟内へ入って行かれた。私も知ってますが、硫黄島という名前の通り、あの島の壕の中に地面から硫黄のガスが噴き出しているんです。そこを素足で視察した人は、後にも先にも高松宮様お一人だそうです」 ちなみに、平成六年二月、天皇皇后両陛下も同島を行幸啓になり、次のようにお詠みになった。
精根を込め戦ひし人未だ地下に眠りて島は悲しき(天皇陛下)
慰霊地は今安らかに水をたたふ如何ばかり君ら水を欲りけむ(皇后陛下)
高松宮殿下の真心のこもった慰霊は非常に立派で印象に残るが、天皇皇后両陛下の読まれた御歌も胸を打つ。日本人の一人として、自分も硫黄島の英霊達の苦しみが癒える日が来ることを祈りたい気持ちである。
しかし、実際の問題として、あれだけ凄惨な戦いを行った戦場では、今もまだ浮かばれないでいる日本兵の霊は多いらしい。彼らは今もまだ、国を守る為に必死に戦っているのだろうか?自衛隊の硫黄島基地では、幽霊対策として毎日慰霊碑の前にもうけてある盃に水を補充する規則となっていると言われている。宿舎でも寝る前には部屋の前に水を準備しておかないと、兵士の霊が水を求めて中へ入ってくるとのことである。海自隊員や海保職員で幽霊に悩まされノイローゼになり帰還させられる人もいるらしい。硫黄島が一般の民間人に解放されないのには、それなりの訳があるのだ。
このブログの中でも紹介したが、こういった事情を考慮せず、自分達の政治的アピールの為に硫黄島へ安易に足を踏み入れた売国政治家もいる。民主党の菅直人と小沢一郎の二人である。案の定、小沢は硫黄島から帰ってきたとたんに体調を崩し検査入院。この時期、このタイミング、それ見たことかと多くの人が思ったはずである。真摯な慰霊の気持ちを持たずに、安易に英霊の眠る場所に足を踏み入れた罰が当たったのではないか?そう思わせる小沢の入院劇であった。
最後に2ちゃんねるで見つけた怖い書込みを一つ
そういえば、2~3日前から半分ボケてるウチの婆さんがテレビ見ながら「小沢さんはなんで兵隊さんを背負ってるの?」って言ってたな… いよいよ完全にボケたかと思ってたんだけど…
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