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日本が好きなだけなんだよ

Date : 2011年09月05日

お笑い!応永の外寇

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倭寇討伐を名目にした李氏朝鮮の対馬侵略

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永楽17年(1419年)6月、李氏朝鮮の太宗は倭寇撃退を名目にした対馬侵攻を決め、対馬の守護が不在である時期を狙って、李従茂率いる227隻、17,285名の軍勢を対馬に侵攻させた。日本側の留守を預かる武士の数は600人程度であり、通常の軍事的常識から見れば朝鮮軍の圧勝のはずであった。

朝鮮軍は、6月17日に巨済島を出航したが逆風ですぐに引き返し、19日に再出航、20日昼頃に対馬の尾崎浦(『朝鮮王朝実録』には豆知浦とある)附近へ上陸した。一帯の一般船舶129隻を焼き払い20隻を奪い、民家1939戸を焼き払い、また104(実録には首級114)の島民を殺害したとされる。しかし26日頃には、仁位郡(『実録』では尼老郡)で対馬側の伏兵に遭い多大な損害を受け、李従茂の軍は尾崎浦まで退却、戦局は膠着状態に陥った。

朝鮮側は、29日に宗氏に対して対馬の属州化などを要求する使者を送るが宗氏に拒絶された。損害の大きくなった李氏朝鮮側は対馬側の和平提案を受け入れ、7月3日に巨済島へ全面撤退した。

李氏朝鮮側の被害は日本の資料では死傷者2500以上。朝鮮側の資料である『世宗実録』では6月26日の襲撃で死者百数十人、7月10日の記録では180人とされているが、これでは6月26日、7月10日の損失を合計しても総数の2%程度であり、この程度の損害で和平を受け入れるとは考えにくく、6月26日は敗戦と自ら明記し、将官も戦死していることからも、実際の被害は相当数にのぼると思われる。

8月5日の記録では日本の戦死者20人に対し朝鮮側が100余名とされている、総じて朝鮮軍は不利であったようであり、この事は保護された中国人の扱いにおいて「対馬での朝鮮軍の弱小ぶりを詳細に見たことから中国に返還できない」と主張する左議政朴訔に対し、右議政李原らは「事大の礼を尽くして送り返すべき」と反論したという記録や、朴実が敗戦の罪により投獄され、李従茂が国民への影響を理由に免罪となった事からも窺え、朝鮮軍が尋常ではない負け方をしたことが推測される。


李氏朝鮮軍の当時の装備
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↓将軍クラスでこんな感じ
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日本の武士
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40 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
>>7
・・応永の外寇
負け戦っていうか・・・w もう、当時、対馬にいた中国の商人達が大笑いするほどに朝鮮軍が惨敗した。

朝鮮の兵力は、精鋭部隊1万3000人(奇襲上陸)、それを迎えうった対馬兵って、留守番役で数が少なく、足軽級もいれて、たったの600人。(当時、藩主他、主力は京都や天津にいた)

それで、当時、対馬にいた中国人が記録してるが、もう、笑っちゃうほどに朝鮮将兵は弱かった。最初の弓合戦でも、ただの一矢も朝鮮側は届かすことが出来ず、逆に対馬兵の弓矢は百発百中、それだけで、対馬兵に殺され放題だった。

日本武士は、一人で600人斬ったのもいたそうで、最後は、適当、バラバラに斬り込んで、斬り殺し放題、朝鮮将兵は、日本刀で切られると、刀、兜、鎧ごと、スパスパ切り落とされるので、泣き喚いて逃げてたと。最初の朝鮮軍の奇襲で殺された対馬村民以外は、朝鮮将兵は一方的に狩り取られたw

日本側は多勢に無勢を気にする風もなく、奇襲強襲、釣り野伏せ(待ち伏せ)など、したい放題で一方的に勝利、600人で1万3000人を10日ほどで完敗させ、朝鮮側は最終的に対馬が日本であることを再確認させられ、その上、毎年大量の米を対馬に献上することを約束させられたw


明治維新まで毎年米200石を対馬に貢ぎ続けた李氏朝鮮

1443年(日本暦嘉吉3年)に李氏朝鮮と対馬の宗貞盛との間で嘉吉条約(かきつじょうやく)が結ばれたが、対馬からの歳遣船(交易船)の数を毎年50隻を上限とすることの他に、歳賜米200石を李氏朝鮮が対馬に毎年支給することが確認されている。歳賜米とは聞こえが良いが、態の良い賠償金であり、一時的に中断したことはあっても、単純に計算して425年間に8万石以上の米を対馬に献上したことになる。

対馬の宗氏は豊臣秀吉、徳川家康に所領を安堵され、改易されることもなく幕末まで続き、明治維新の版籍奉還で藩は消滅し、宗氏は華族に列せられた。

(コメント)
軍事的な法則として有名な、ランチェスターの法則の第二法則に「戦力はその2乗に比例する」というものがある。たとえば2人対3人がほぼ同じ条件で戦った場合、2×2:3×3=4:9となり、戦力差は約2.25倍になると言われている。3人対6人では戦力差は4.0倍にまで広がり、実際に戦場で戦えば、ほぼ一方的に勝負がついてしまう。

同条件の戦力が10倍以上開くと、多勢の軍は敵を打ち負かすのにほとんど損害を受けないと考えれられるが、あくまで同条件の話であって、たとえ戦力差が十倍以上開こうとも、鍛え込まれた日本刀、堅固に作られた鎧、良く訓練された日本武士と、装備が貧弱で未熟な朝鮮軍の兵士との戦いでは、結果は全くの逆になってしまったようである。

100万人のペルシアの大軍を300人のスパルタ兵士が迎え撃った「テルモピュライの戦い」は映画化されたことでも有名だが、300(スリーハンドレッド)ならぬ600(シックスハンドレッド)というタイトルで、「対馬の戦い」をハリウッドで誰か映画化してくれないものだろうか?整形韓国人がクッサイ演技で電波を撒き散らす韓流ドラマよりは、よほど健康的な娯楽大作になることは間違いないと思うのだが。

朝鮮半島は歴史上、日本に三回ほど武力侵攻を仕掛けている。二度の元寇はフビライ・ハーンの娘婿であった高麗の忠烈王の要請によって行われたものであり、日本侵攻軍の主力は朝鮮人であった。三度目の侵攻が今回紹介した応永の外寇であり、対馬占領の意図をもって侵攻してきた朝鮮軍が、楽勝と思われた20分の1以下の日本軍に大敗した、いわば東洋の「テルモピュライの戦い」だった。「テルモピュライの戦い」では最終的にはスパルタ兵は全滅してしまうが、こちらは大部分の兵士が生き残り、日本武士の強さを李氏朝鮮に見せ付け、二度と日本に侵攻する気が起きないように、完膚無きまでに叩きのめして武名を後世に刻んでいる。

自分達の屈辱的に満ちた歴史を隠蔽するために、歴代の朝鮮半島の国家は、自分達の都合の良いように公的な歴史すら改ざんすることが当たり前になっている。今回の応永の外寇も、韓国では倭寇に対する勝利。

歴史的には朝鮮半島に見るべきものは何もなく、反日朝鮮勢力に乗っ取られた日本国内のテレビやマスコミが必死に韓国を持ち上げてはいるが、実際には観光価値のあるものほとんどない。歴史的に見れば、日本の方がはるかに輝いていて素晴らしい。韓国に旅行に行くくらいなら日本の史跡を回った方がはるかに良く、食べ物もおいしく安全である。韓流の時代劇ドラマは歴史考証や史実を無視したファンタジードラマであり、実際の史実とは程遠いことを 多くの日本人は知っておくべきだろう。

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