慰霊になっていない全国戦没者追悼式

毎年8月15日、日本武道館行われる全国戦没者追悼式で、日本の首相が相も変わらず「アジアの人々に多大な苦痛を与えたことを反省し」などという寝言を言い続けているが、そういったニュースを目にする度に、「慰霊の本当の意味が分かっているのだろうか?」と疑問に思わざるを得ない。
日本の防衛とアジアの解放のために戦って亡くなった人達の前で、日本人の代表が恥も臆面もなく「お前たちは悪いことを行った」と宣言しているのだから恐れ入る。その辺にいる犬や猫だって、言葉が喋れたらもう少し品性を備えているはずだ。もっとも、日本の首相は死者の霊に宣言しているのではなくて、戦勝国のご機嫌取りのアピールをしているのであり、日本を占領しているアメリカに一生懸命しっぽを振っているという事情がある。遠まわしに「日本は二度とあなた方に逆らいません」とメッセージを送っているわけだが、そうしなければ反日朝鮮マスコミの攻撃を受けたり、CIAの対日工作の対象になったりするのだろう。
自虐史観を否定するような愛国的な政治家は、故・中川昭一氏のように罠に嵌められたり、あるいは自殺や事故、突然の病気に見せかけて殺されてしまう。反日マスコミの総攻撃を受けて政治生命を失うことだって珍しくはない。在日米軍やCIAが黒幕だが、下請けのヤクザに頼めば、大臣の在任中は無理でも、ただの議員に戻ったり、落選した時を狙って、いくらでも証拠を残さず殺すことが出来る。警察はこの手の暗殺があった時、真剣に捜査はしない。それこそビルの屋上に連れ出して突き落としても、自殺として処理され、黒幕の正体が明らかになることはないのである。
首相の就任演説時に、村山談話や河野談話を踏襲するか否かの質問が、必ず社民党や共産党あたりから出されるが、これも戦勝国の顔色を窺った踏み絵であり、それに反日朝鮮勢力が便乗しているような状況である。社民党や共産党のようなふざけた政党は、本来ぶっ潰して、スパイ容疑で議員を収監すべきだと思うが、この心底、魂が腐ったゴミ共は、反米を装った親米であり、日本の首相に踏み絵を踏ます役割を 日本人として恥じることもなく良く果たしてきているようだ。
日本の首相にまともな慰霊が出来ないのなら、何も発言しないか出席しない方がまだマシであり、馬鹿丸出しでアジア云々言うよりは、一言「ご冥福をお祈りする」と述べた方がはるかに慰霊になることは間違いないだろう。反日マスコミも相変わらず下らない終戦記念ドラマを流しているが、GHQの手法そのままの、国民洗脳番組なので、結局のところ、戦前の白人による非人道的な植民地や人種差別という核心はいつも語られず、最終的には日本軍が悪者であるという印象を植え付けるように制作されている。一時に比べれば反日色はだいぶ薄まったとはいえ、くだらない自虐的な反戦ドラマを流すくらいなら、一切流さない方がまだ潔いだろう。
民主党政権の閣僚は、全員が靖国参拝を見送るそうだが、江田某という大臣によると「アジアの人々に迷惑をかけた」からだそうである。当時日本は米英蘭と戦争をしていたが、東南アジアは軒並み敵国の植民地になっており、戦争中に敵の領地に侵攻するのは当然のことである。アジアの人々に迷惑というが、実際に迷惑とかけていたのは連合国の方で、日本軍は迷惑をかけたはずの東南アジアの人々から大歓迎を受け、日本の軍政が、その後の東南アジアの独立に繋がったことは歴史的な事実である。そういったことが公に語られず、江田のような人間が平気で政治家をやっていることこそが、現代日本の悲劇でもあるのだろう。
本来、戦没者に対する慰霊というものは、先人を褒め称え、感謝し、未来へのポジティブな決意を述べるものだが、公式な場で行われる日本の戦没者に対しての慰霊は、見てて滑稽になるくらい自虐的で、歴史の真実からかけ離れており、慰霊というよりは故人の顔に泥を塗るのが目的のように思える。死人に口なしで、反日売国奴が好き勝手に先人の悪口を言うのは戦後日本の風物詩でもあるが、恥知らずな言動しか出来ないのなら、坊さんの読経でも聞かせておいた方がまだ慰霊の意味があるに違いない。まともな慰霊が出来ないのであれば、せめて臭い口でも閉じておけと思うが、戦没者の前で本当の慰霊が出来るようになるのは果たしていつになるのだろうか。全く腹立たしい限りである。

スポンサーサイト