愛子内親王の不登校問題 4

宮内庁の野村一成東宮大夫は19日の定例会見で、愛子内親王の不登校に関する皇太子夫妻のコメントを公表したが、内容は「国民の皆様にご心配をおかけしており、私たちも心を痛めております」というトンチンカンなもので、これを聞いて違和感を感じた国民も多かったことだろう。自分達で一方的に騒動の種を撒き、8歳の一般児童を国家権力ですり潰そうとしておいて、8歳児やその両親への謝罪もなく、心を痛めておりますと言われても、なんだそりゃ?というのが、一般国民の素直な感想だろう。
今後の見通しについても「学校ですでにいろいろな対応策を考えていただいているところであり、今後もよく相談しながら、よい解決を見いだしていかれればと思っております。両陛下はじめ、皆様からさまざまなご配慮をいただいていることを心からありがたく思っております」としているが、自分達で何かを解決する気は全くないらしい。どこまでも他人事で無責任な内容と言えそうである。
「心を痛めている」だとか「心からありがたく思っている」だとか、雅子妃が好んで使う表現が見受けられたが、こういう表現は、一般の会社の公式文書でも使わないようなレベルのものである。はっきりいうと文章表現が稚拙で、従来の皇室のレベルとは言い難いものだ。内容もお粗末で文章もお粗末、天皇皇后両陛下のお言葉と比べて何も良いところが見つからない皇太子夫妻のコメントだった。
ネット上では東宮を見限る意見が多数派だったが、東宮の暴走で国民の中に不信感が広がる中、国民と皇室とをかろうじて繋いでいるのは、秋篠宮家の存在だろう。もちろん、天皇皇后両陛下も国民から多くの信頼を寄せられているが、なにぶん御高齢でもあり、将来的な皇室のイメージ像としては無理がある。次代という観点から見れば、国民が注目するのはやはり東宮家と秋篠宮家である。
今回の騒動で東宮家の闇が公になったので、皮肉にも秋篠宮家の輝きが増す結果となった。東宮家を闇とすれば、秋篠宮家は光りであり、秋篠宮家は日本の輝ける未来像を象徴している。バンクバー冬季五輪の女子フィギュアスケートにおける闇のキム・ヨナ、光りの浅田真央という構図が、皇室でも形を変えて再現されているのは果たして偶然の一致だろうか。神は最後の審判において人間の魂を選別するというが、これら光りと闇の選択肢の連続は、神の与え給もうたマークシート問題のようにも見える。何をどう選ぶかで、だいたいその人間がどういう人間か分かってしまうところが恐いところだ。
神のマークシートはともかく、日本人は皇室について、二つの未来像を想像することが出来る状況にあるのは確かなようである。光りの秋篠宮家か闇の東宮家か、輝ける繁栄か亡国か、少なくとも徳仁皇太子がこのまま即位すれば、国民の支持は皇室から離れていってしまうことは間違いない。モンスターペアレンツの徳仁天皇と雅子皇后では、皇室廃止の国民投票すら容易に可決されてしまう可能性がある。その前になんとかしなければいけないが、現実問題としては一般庶民には如何ともし難い。その上、亡国の民主党政権では、政治家に何かを期待すること自体、ナンセンスな状況にある。
いささか投げやりな表現になるが、東宮家か秋篠宮家かの問題については、最終的には神の審判に委ねる以外にないのではないかと考えている。それは、例えどうしようもない皇太子であっても、国民の手で親王が皇位継承権を取り上げられた例は歴史上、存在しないからである。徳仁皇太子を飛ばして次の天皇を秋篠宮殿下にするとなると、当然、皇室典範を改正しなくてはならないが、皇太子が存命している以上、現実問題としては不可能ではないかと思う。
天皇陛下は本来、神と人との仲介役である祭祀長であり、即位の儀式の一環として、大嘗祭において、その身に天皇霊が宿ると言われている。大嘗祭で天皇霊が宿れないような皇位継承者は、即位の前に神の選別を受けるのではないかと思う。選別というのははっきり言えば、何らかの方法で排除されるということである。亡国の徳仁皇太子に神の加護があるとは思えず、天皇即位の絵はなかなか見えてこない。雅子妃入内の手引きをし、現在の皇室の危機に加担した高円宮は、カナダ大使館でスカッシュ中に急死を遂げている。皇統断絶、皇室廃止の危険性を孕む徳仁皇太子の運命やいかに?と考えるのは無責任過ぎるだろうか。
クーデターでも起きれば、国を割る南北朝のような状況も考えられるが、いかなる状況であれ大切なことは、神意は悠仁親王殿下と秋篠宮家の上にあるということである。その上で、徳仁皇太子夫妻に国民が批判の声を上げ、常に見えない圧力を掛けておくことも重要になるだろう。なぜなら、そういった国民による東宮への圧力が、悠仁親王殿下と秋篠宮家を守る力になるからであり、雅子妃やマスコミによる秋篠宮家への理不尽な仕打ちは、国民の手で二度と許してはならないからである。
今回の騒動で国民の東宮への不信感は加速度的に広がっており、今後、信頼が回復することはまずないだろう。当ブログが当初から主張してきたことが、結果として広く国民に認知されたことになる。前述したように国民が皇太子の皇位継承権を奪うことは困難だが、徳仁皇太子が自ら譲位の意思を表明した場合はまた別である。そうなれば全てがスムーズに進み、それに合わせた皇室典範の改正も行われるのではないか。国民の批判が更に高まれば、そうした事態が起こる可能性もゼロではない。何事もあきらめず、機会があれば積極的に声を上げることが重要だろう。

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