サッカー日本代表の惨敗に思うこと

サッカーの東アジア選手権の日本と韓国の試合は3対1で日本が敗れたが、昨年の衆議院選挙の民主300、自民100の選挙結果を連想させる負け方で、なんとも象徴的な試合だった。国際試合では、技術や体力以外に精神的なものが大きく影響するが、日本の教育は半ば崩壊しており、自虐史観やゆとり教育をたっぷり経験した今の日本の若い選手に精神的な奮起を期待するのは難しい。
サッカーのようなチームスポーツというのは、ある意味世相の反映であり、良くも悪くも代表選手が我々の代表であることは否定出来ないが、日本のマスコミの日本下げ、韓国上げの異常報道を何年も刷り込まれれば、サッカー選手でなくても精神に変調を来たしかねない。選手だけに闘争心を期待するのも酷というものだが、心から勝ちたいという気迫溢れる日本選手のプレーを ついに見ることは出来なかった。
日本チームの戦いぶりを見ていると、人数かけてパス主体で攻撃するというスタイルのようだが、いかにも秀才肌の岡田監督の考えそうなことで、軍師にでもなった気分で采配をしているのだろう。数が揃えば敵陣を突破出来てゴールも入るだろうという、単純かつ安易な発想だが、強いサッカーチームというのは、たとえ相手の守備より少ない人数でも、素早いパスやドリブルで敵陣を突破して得点出来るチームのことである。チャンスと見れば肉食獣のようにミドルシュートを撃って、相手守備陣を崩したりゴールネットを揺らしてしまうものだ。
つまり、そういう戦術を研究しないといつまでも強豪にはなれないわけで、相手守備陣ががっちり守っているゴール前で細かいチマチマしたパスを通して点が入るわけがない。敵陣でのコーナーキックのたびに韓国のカウンターを食らって大ピンチになっていたが、これでは何のためにコーナーキックを得たのか分からない。勝負どころで呑気に中盤でバックパスをするようなチームでは、南アフリカのW杯では一勝も出来ないのではないだろうか。
この時期に韓国に大敗するようでは、よほどの僥倖がないと南アフリカで惨敗は免れないと思うが、まだ、98年フランスW杯の予選を必死で戦っていた岡田監督のチームの方が、良いチームだったような気がする。代表選手はノーギャラで90分間走っていたので、たとえ惨敗でもお疲れさまと言いたいが、岡田監督は練習で一体何を指導しているのか、少し疑問が残る試合内容だった。もう今さら監督交代は無理だし、監督どうこうの問題ではないのかもしれないが、南アフリカW杯での日本代表の苦戦を想像すると少し胃が重たい。
足が短くてボールに届かなかったり技術的にへたくそでも、せめて相手に噛み付きそうなくらいの闘志で頑張って欲しいものである。ベスト4を目指すという岡田監督の目標は、ナイスジョークとして日本のサッカー史に語り継がれることだろうが、2002年の韓国の八百長サッカーを参考に、自分で撒いた種なのだから自業自得と言わざるを得ない。今のチームでは、一次リーグで奇跡的に一勝出来れば御の字だろう。

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