雅子妃の実家 小和田家の傲慢

雅子妃の実父、小和田恒氏の専用の椅子

上の画像は、某ブログに掲載された、現在、小和田恒氏が使用している国際司法裁判所の所長の椅子だが、その背もたれにはっきりと菊の御紋が使用されている。藤原家などの歴史上の天皇家の外戚でさえ、菊の御紋を私的に使用した例は見つかっていない。一般家庭の例で考えても、娘の嫁ぎ先の家の家紋を勝手に使用するなどというのは、常識的には考えられない行為である。
小和田恒氏が、天皇陛下の権威をいかに自己の権勢に利用するか、日夜腐心している様子が窺える。美智子皇后陛下、秋篠宮紀子妃殿下の御実家ではありえない態度である。
天は小和田家の長女に親王を授けず
もし、小和田恒氏の長女である雅子妃に親王(男子の皇族)が生まれていれば、その子は徳仁皇太子に次ぐ皇位継承権者となり、小和田恒は将来の天皇の父親という、至福の地位を手に入れたに違いない。そうなれば、現在より多くの利権を手に入れることが出来ただろうことは疑いようがないが、天はそれを許さなかった。

皇位継承権のない内親王の誕生で明らかに意気消沈する小和田夫妻。
会見では形どおりの嬉しく思う旨のコメントを発表したが、その表情を見れば落胆の色は明らかだ。
賜剣の儀での失態、守り刀の踏みつけは神の意志か
緊張の東宮大夫=桐箱取り落とし一瞬ヒヤリ-賜剣の儀〔ご出産〕 (時事通信) 2001年12月1日(土)18時33分
天皇陛下から新宮に守り刀を贈る「賜剣の儀」は、ご誕生から約2時間後の1日午後4時半から、宮殿の表御座所で始まり、約30分間で滞りなく終了した。伝達役の古川清東宮大夫は午後4時35分、授けられた刀の入った桐(きり)箱を恭し くささげ持ち、宮殿西車寄の玄関前に姿を現した。緊張した面持ちで、ゆっくりした足取り。箱は菊の紋が付いた紫色のふくさに覆われ、袴(はかま)の目録を持った宮内庁事務官が付き従った。緊張のためか、古川大夫は箱を取り落とし、慌てた大夫が箱から飛び出した賜剣を踏みつけてしまう場面も。事務官が剣を拾い上げ、事なきを得たが見守るマスコミ関係者は一瞬あっけにとられた。その後、事務官が代わりに皇太子ご一家の待つ宮内庁病院に入り、刀は無事にお子さまのまくら元に安置された。

賜剣の儀のため、雅子妃の入院する宮内庁病院に向かう古川東宮大夫。この後、守り刀の踏みつけという前代未聞の珍事が起こる。
賜剣の儀が皇室に伝わる神聖な儀式である以上、短刀を落として踏んづけた時点で、儀式は失敗に近いものがある。こういう場合は、失敗自体に何らかの意味があると考えた方が良く、自分には愛子内親王を女帝に擁立することを認めないという神意のように思える。
東宮とマスコミなどの反日勢力がグルになって盛り上げた女帝騒動は、悠仁親王殿下の御誕生により、一時的になりを潜めてはいるが、いつ何の拍子で再燃するかしれたものではない。愛子内親王の即位を目的とした女帝容認論争は、これまで125代続いてきた男系天皇の断絶=皇統の断絶に繫がる第一歩なので、決して認める訳にはいかない代物である。

小和田恒は超一級の売国奴
『靖国問題と中国』屋山太郎、岡崎久彦(海竜社)167~169ページより抜粋
(前略)福田康夫氏と谷垣禎一氏は外交の最大テーマとして『日中の異常な関係の正常化』をあげている。『異常な関係』とは何か。日本の首相が靖国神社を参拝するかぎり、『首脳会談を行わない』と中国側が頑張っている状態こそ異常というほかない。これは『たった一つのことが気に入らないといって首脳会談に応じないのは異常だ』と小泉首相が言っている通りだ。国際的常識では『他国の神社参拝を自国の外交関係の中心部分にする国は全世界でも例がない』(米中経済安保調査委員会ラリー・ウォーツェル委員長=産経新聞2006年5月13日付)と見るほうが自然だろう。
中国の側に理があるという非常識を日本国民に植えつけてきたのは、田中内閣以後の親中派議員と外務官僚だ。中国に対する贖罪意識に加えて、日中条約締結後にはじめたODA援助がらみの利権が親中派議員を激増させた。一方で外務省主流も親中派に傾き、チャイナスクールが跳梁跋扈した。小和田恒元外務次官、元国連大使(現国際司法裁判事)が『日本ハンディキャップ論』を唱えたのは有名だ。日本はハンディを背負っているのだから一人前の行動や発言をしてはいけない、との暴論である。次官、駐米大使、外務省顧問を歴任した栗山尚一宮内庁参与は『日本は永遠に謝罪し続けなければならない』という主旨の大論文を月刊誌『外交フォーラム』に連載(2006年1・2月)した。栗山氏によれば、首相が靖国参拝をやめても、ガス田、尖閣諸島、国連安保理常任理事国などすべての懸案問題で中国の譲歩は期待できないが、それでも謝れという。そもそも何も得ることが期待できない方針を『政策』と呼べるのだろうか。こと中国のことになると、急に風向きを気にする政・官・学・財界の諸氏の姿勢は不可解といわざるをえない。
創価学会とも深いつながり

積極的に徳仁皇太子に雅子妃を売り込んだ小和田家
『小和田雅子さん素顔の29年』永井雄一、データハウス1993年、p162より
外交官試験に合格した1986年10月、この同じ月に雅子さんは初めて皇太子殿下にお会いしていた。正確に記せば、試験に合格した12日後の10月18日、父の恒さんと共に当時の東宮御所(現赤坂御所)に出向いていたのであった。 今では、すでに知られるスペインのエレナ王女歓迎のレセプションの席であった。タイプ打ちされた、そのパーティーの出席者名簿に、手書きで書き加えられていたのが、雅子さんであった。彼女を推薦したのは恒さんの上司にあたる中川融・元国連大使であった。
マスコミの世論誘導によって、皇太子に見初められ、皇室の犠牲になったキャリアウーマンというイメージのあった雅子妃だが、実際には積極的に売り込みを行なったのは小和田家の方であった。その陰に外務省の反日官僚グループと反日マスコミの執拗なバックアップが存在していた。まだ、皇太子妃の候補にもなっていない頃、親のコネで外務省に入省した一公務員について フライデーなどの週刊誌が誉めそやした記事を掲載するなど、前代未聞の出来事だろう。しかも同じ号に徳仁皇太子の記事を掲載するという用意周到さである。
『FOCUS』1986/10/17号に掲載された雅子妃の記事

同じ号に掲載された徳仁皇太子の記事

これではわざと雅子妃の記事が徳仁皇太子の目につくように恣意的に編集したと言われても仕方がない。インターネットも普及していなかった時代なので、皇太子が真実を知る術はなかった。(小和田家とマスコミの売り込み攻勢の詳細はドス子の事件簿wikiを参照)
外務省の一新入職員に過ぎないはずの雅子妃は、日経新聞の夕刊などでも唐突に紹介され、テレビのインタビューまでされたが、外務省の期待の星という割りには、その後、何の実績も残せず、親の威光を借りて内規破りをするなど、むしろ恥ずかしい実績の方が上回った。
自宅を密会の場に提供してまで、雅子妃の入内に固執した元外務次官


昭和天皇の反対などから、一時は立ち消えになった雅子妃のお妃候補だが、昭和天皇の崩御を見澄まして、ゾンビのように再び復活し、小和田恒の息のかかった外務官僚らの執拗な工作が功を奏し、ついに結婚が実現することになる。皇室の受難の時代の始まりであった。
雅子妃の入内にあたっては、高円宮憲仁親王が様々な協力を行なっており、密会の場に宮邸を提供するなどの事実が週刊誌などで報道されている。高円宮はその後、2002年11月21日に、カナダ大使館でスカッシュ中に心不全のため死亡。47歳の若さであった。今もってその死には謎が付きまとっており、治外法権のカナダ大使館で実際に何が起きたのかは不明のままである。
(コメント)
小和田家の振る舞いで、いやらしい言い回しで献上品をせしめたとか、準皇族きどりの勘違な行動などは良く聞く話で、ドス子の事件簿wikiで調べれば実例がいくらでも出てくる。美智子さまの実家の正田家や、紀子さまの実家の川嶋家では娘を入内させて身を慎んだが、小和田家は驕り高ぶり、利権を得るのに必死のようだ。
雅子妃は皇室のガン細胞であり、皇統断絶を目論む反日勢力の神輿となってる。女帝論争を復活させるための下準備かどうかはわからないが、愛子内親王の持ち上げ報道に、メディアは何かと必死である。元々皇位継承権がない上に、悠仁親王殿下との皇族としての器量の差も歴然としているので、持ち上げれば持ち上げるだけ逆効果になるだけだろう。小学生になっても挨拶一つ満足に出来ない愛子内親王の皇族としての資質に、疑問符も付く。
皇室関連の宝物のヤフーオークションへの流出事件にも小和田家の関与が疑われており、小和田恒の投資失敗の穴埋めとの噂もある。今後、皇太子夫妻が天皇皇后に即位するようなことがあれば、小和田家による皇室の権威の悪用は、さらに増えていくに違いない。献上品程度ならまだ笑い話で済むが、政治や皇統について、徳仁天皇を利用した介入があれば、取り返しのつかないことにもなりかねない。最も心配されるのは秋篠宮家、特に悠仁親王殿下への圧力である。
悠仁親王殿下にもし何かあれば、それは男系天皇の歴史の断絶であり、皇統が途絶え、日本国神武朝の滅亡に繋がることである。一般的な家系図は全て父方の血筋を優先した男系の原則で書かれており、男系の歴史の途絶は、家系の途絶である。男系天皇とは、父方が男性皇族の天皇のことで、歴代天皇は全てこの原則を満たした男系天皇である。女性の天皇も存在したが、一代限りのピンチヒッターであり、しかも父親が皇族の男系天皇であった。初代の神武天皇のY染色体を連綿と受け継いでいるのが天皇家なのであり、その中で最も若い男性皇族が悠仁親王殿下なのである。母方が皇族だが、父方が一般人という女系天皇は、日本の歴史上、存在しておらず、女帝女帝とは言うが、もはや天皇とは言い難い代物である。
天皇陛下の権威が世界的に高いのは、この万世一系の歴史ゆえであり、世界史的に見ても奇跡の家系だからである。天皇陛下と皇統は、いわば日本の究極のソフトパワーなのであり、先人達が守り抜いてきた財産なのである。それゆえ、反日マスコミが皇統の断絶を画策し、まともにこの事実について報道しないのだ。日本人の多くが伝統的な皇室を敬うと日本は強化されるが、皇室から心が離れれば日本は弱体化する。それゆえ、出来るだけ伝統的な皇室(主に東宮を除いた皇室)に国民が親近感を持たないよう、マスコミが情報操作している事実も見逃せないだろう。両陛下や皇族(東宮を除く)の外国への訪問のニュースにしても、日本のマスコミより、外国のマスコミの報道の方がはるかに詳しく、より敬意に満ちているのは皮肉な事実である。しかしこれが、反日マスコミが世論を操作し主権を握る、我が日本国における由々しい現実なのである。

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