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Date : 2009年07月18日

立ち向かった唯一の有色人種①

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立ち向かった唯一の有色人種①

侵略の世界史  ~この500年、白人は世界で何をしてきたか~



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中国、朝鮮に触手を伸ばすロシアとの対立

三方からの侵略勢力と対峙することとなった幕末日本は、江戸時代から蓄えた民力と技術力によって、とりあえずは危機を脱することができた。だが列強は直接日本に手をかけることはなかったものの、中国、満州へと着実にその勢力を伸ばし、日本を取り巻く環境は、いよいよ緊張の度を高めていった。そんな中で起こったのが、日清、日露の戦争である。日清、日露の大勝利は、明治維新の成果が見事に花開いたもので、極東の小国・日本の存在が世界に注目された世界史上の大事件であった。国内的には、明治人の気概がいかんなく発揮され、国民の自信と誇りを高め、国際的には非白人植民地民族を感奮興起させ、白人らには「黄禍論」の不安を与えた。この戦争が世界史の流れを変える出発点になったことは言うまでもない。

清国は、アヘン戦争に敗れ、西側からの列強の分割に屈した。そのハライセに弱い朝鮮を屈従させようと企てた。清は朝鮮を属国と心得、朝鮮の内乱に付けこんで、軍を進めて支配を強化した。日本にとって朝鮮半島は一番近い隣国で、国家防衛の生命線であった。朝鮮の独立を守るために日清戦争が勃発した(1894年)。戦争は予想以上の日本の連戦連勝で、一年足らずで終わった。下関講和条約が結ばれ(1895年)、清は、

1、朝鮮の独立を認める
2、遼東半島、台湾、澎湖島を日本に譲る
3、賠償金三億円を支払う

ことを認めた。
しかし、その六日後に、満州進出に野望を持つロシアは、ドイツ、フランスと組んで遼東半島を清に返還するように迫った。「三国干渉」である。当時の日本は三列強と戦う力がなかったので、涙を飲んで返した。

清国に恩を売ったロシアは厚かましくも、直ちに遼東半島を清から譲り受け、旅順に大要塞を築いた。このロシアの不埒な仕打ちに、日本ではいつか仇を討つべしと「臥薪嘗胆」という言葉が流行した。かつては「眠れるシシ」と恐れられていた清国が、日本に敗れるや「眠れるブタ」と軽視され、列強の中国侵略は一段と激しくなった。すなわち山東省をドイツに(1898年)、威海衛を英国に(1898年)、広州湾はフランスに(1899年)租借され、中国はずたずたに分割されてしまった。

列強の侵略は、中国民権運動を刺激して、ついに1900年「扶清滅洋」をかかげる義和団の運動が起こった。列強は、居留民を守るために軍隊を派遣し、北清事変となった。ところが事変が鎮圧された後も、ロシア軍は満州に居座り、続く朝鮮まで勢力を伸ばしてきた。日本はロシアに対抗するため日英同盟を結び、日本の生命線でもある朝鮮半島を救うため、ロシアに宣戦布告した(1904)。積年の臥薪嘗胆の怨みが、ついに爆発したのである。

日露戦争は人類解放の出発点

陸軍は満州に出兵し、ロシアの極東の大要塞・旅順の、難攻不落を誇った二百三高地を、乃木大将は5万9000人もの死傷者を出しながら陥落させ、続く奉天大会戦に勝利した。難攻不落の二百三高地がなかなか落ちなかった折、乃木は北海道・旭川に新しく生まれた第七師団の精鋭の増援を頼み、最後の突撃を試みた。203という数字を割れる数は7しかなかったからである。203を7で割れば29である。二重の苦しみをこうむると必ず割れるという語呂合わせである。

この戦いで乃木大将は最愛の勝典、保典の二人の息子を戦死させてしまった。二重の苦であった。大将にとって203(ニレイサン)は、二人の息子がねむる二霊山だったのである。さてロシアは陸の劣勢を挽回すべく、西欧で最強のバルチック艦隊を、極東に回航させることになった。ここに世界中がかたずを飲んで見守った日露戦争のハイライト、日本海海戦が幕を切って落とされた。

日本の連合艦隊司令長官・東郷平八郎、ロシアの司令長官にロジェストヴェンスキー。味方は戦艦4、巡洋艦20、駆逐艦21、その他で47隻。敵は戦艦11、駆逐艦9、その他で39隻、ほぼ戦力は互角であった。敵艦が宗谷、津軽、対馬のどの海峡を通ってくるかが大問題だったが、東郷は対馬にすべてを懸けると決意した。五月二十七日、敵艦は予想どおり対馬海峡に姿を見せた。見張りの漁船から「敵艦見ゆ」との情報に接し、東郷長官は「皇国の荒廃、この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ、天気晴朗なれども波高し」のZ旗を掲げた。

戦いは見事なT字戦法により、約半日で完全に近い勝利を収めた。ウラジオストークに逃れたのは、たった二隻、残りは全て撃沈か捕獲された。味方はほとんど無傷であった。勝因は、戦術の巧妙さ、日頃の猛訓練、日本が発明した下瀬火薬の威力などがあげられる。日本大勝利の報は、かたずを呑んで見守っていた世界の人々を驚嘆させた。英国のネルソンによるトラファルガー沖海戦以上に、世界戦史上に名声を留めることになった。日本では三日三晩の提灯行列が行なわれ、万歳、万歳の歓呼の声は津々浦々に鳴りひびいた。日本民族はじまって以来の感動が、日本列島に満ちあふれた。

世界の国々の中で、このニュースを聞いて最も喜んだのは、従来ロシアに占領されたり、圧迫され、いじめられ続けてきたフィンランド、ポーランド、トルコなどの国々であった。これらの国はこの勝利を我が事と喜び、日本国と東郷平八郎を賞賛した。トルコのイスタンブールには「東郷通り」があり、さらに「乃木通り」もある。ポーランドではトーゴーやノギが人名になっているほどだ。フィンランドでは「アドミラル・トーゴー」と銘打った東郷ビールが、今でも広く愛飲されている。

日露戦争は有色人種が白色人種に勝った初めての大戦争で、当時の列強に植民地にされていた世界中の被抑圧民族を感動させ、独立への夢を駆り立てた。これこそ人類解放の出発点であった。日露戦争勝利は、世界史にとっても、日本史にとっても、最も重要な出来事である。これほど民族にとって栄光ある事件はない。ところが戦後の日本の歴史教科書は、東郷元帥の名も乃木稀典や名参謀・児玉源太郎などの英雄の名も故意に外し、日露戦争の事実を軽く扱うか、教科書によっては侵略戦争と位置付けている始末である。国史から感動的な史実を抜いては教科書とはいえない。戦後の教科書は、占領政策下で日本去勢化を狙った占領教科書のままなのである。(P252~P258)

(コメント)
日清戦争から大東亜戦争に至るまでの、日本の行なった戦争は全て自衛戦争であり、そのことは日本を戦後処理で去勢したGHQのマッカーサーも、後に米国議会で証言しているところである。現在のように航空機やレーダー、人工衛星、ミサイル兵器が発達していなかった当時、朝鮮半島が敵国の基地になることは、日本の安全保障にとっては重大な問題であった。満州及び中国、朝鮮半島に野心を抱いていた大国ロシアの南下は、日本の国家存亡の危機を意味していたのである。当時のロシアの国力は日本の20倍以上もあり、自衛目的以外で、戦争を仕掛けられるような相手ではなかった。シベリア鉄道が完成し、満州、朝鮮を支配下に入れ、物量で圧倒されれば、日本は完全に勝ち目が無くなる。そうなる前に決戦を仕掛け、日本の安全を守る必要があったのである。

日露戦争は奇跡的に日本の勝利で幕を閉じたが、まさに二重、三重の意味で奇跡であった。小国が大国に、有色人種が白人に勝利した、世界史にさん然と輝く、民族的な栄光でもあったのである。戦後の反日自虐教育では、日露戦争はせいぜい年号を暗記するぐらいのようだが、本来ならNHKの大河ドラマででも放送してしかるべきものである。先人の偉業が過小評価され、歪曲されている現状は非常に残念と言わざるを得ない。東郷平八郎元帥を始め、日露戦争を戦った軍人達はとても立派な顔をしていたように思う。乃木大将もその指揮能力の評価はともかく、人格的には非常に立派だったと聞く。内面から滲み出る品格が表情に出ていたのだろう。

日清戦争の下関講和条約の講和内容を見ると、いかに大東亜戦争でアメリカに日本が酷い仕打ちを受けたかが分かる。無条件降伏に近い条件を突きつけられ、原爆を落とされた挙句、軍事裁判で要人がリンチにかけられ、改正困難な国際法に違反した占領憲法を押し付けられなど、その他数え挙げればきりがない。果たして狂っていたのはアメリカだったのか、日本だったのか、その答えはもはや明らかだ。アメリカのような傲慢で異常で冷酷な国家が、正義の国とか、何かの冗談にしか聞こえないだろう。よくぞ戦後60年以上、騙され続けてきたと我ながら感心するしかない。

お隣の韓国は、何かと日本と歴史で張り合いたがるが、日露戦争の一事をとってみても、永久に日本には及ばないだろう。せいぜい上手に被害者ぶって歴史を捏造するのが関の山だが、オナニードラマでも作って、キムチをかじりながら悦に入っているのがお似合いの連中だ。日本にはドラマ以上に豊かで誇りのある真実の歴史がある。戦後60年、今だに日本人は本来のアイデンティティーを失って闇夜に彷徨っているが、夜明けのない夜はないとも言う。政情不安で、民主党政権になれば日本自体、どうなるか分からない状況だが、いずれ日本人が真実の歴史と誇りを取り戻す日が必ず来ると信じたいものである。

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