白人侵略の終着点・日本の対応①

白人侵略の終着点・日本の対応①
侵略の世界史 ~この500年、白人は世界で何をしてきたか~
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なぜ日本は侵略を免れたのか
19世紀の半ば、白人の世界侵略は、アフリカ、中南米、アジア、太平洋地域を獲りつくし、残りは極東アジアのみとなっていた。アメリカは太平洋を東から西へと侵略の手を伸ばし、ハワイ、フィリピンをすでに手にしていた。ロシアは沿海州まで獲得し、日本海を隔てて、日本に向き合うところまできた。英米はすでに中国の分割を開始していた。日本、朝鮮、中国、満州をどこが獲るか、興味はその一点にかかっていた。1853年、ペリー艦隊の浦賀来航は、こうした中で起きた。
(中略)
日本列島はヨーロッパから西回りで来ても、東回りで来ても、最も遠い国、だから侵略を免れたとみるのは十分な解釈とはいえない。コロンブスのアメリカ大陸到達(1492年)からわずか50年後、ポルトガル船が早くも種子島に漂着(1543年)している。スペインがインカを滅ぼしたように、日本を抹殺しようとすれば、けっして不可能ではなかったはずだ。19世紀の問題を考える前に、16世紀にさかのぼって第一回の危機について考えてみよう。
鉄砲製造でたちまちのうちに欧米を凌駕した日本人
スペインのザビエルがキリスト教の布教のため鹿児島に来日したのは、鉄砲伝来からわずか6年後の1549年であった。16世紀における侵略の先進国のスペイン、ポルトガルの手口は「鉄砲と十字架」である。日本においても早くもこの二つが揃ったのである。
しかし、日本はここからが違った。ポルトガル人からたった2挺の鉄砲を買った種子島の八坂金兵衛は、一年後には10挺を制作し、数年後には種子島には600挺の鉄砲があったという。改良に改良を重ね、種子島という名の火縄銃は、本場のヨーロッパをしのぐ、猛烈な早さで日本全国に流布し、その機能の改良もヨーロッパ以上に進んだ。ここで興味あるのは、鉄砲が偶然、種子島という名の島に最初に伝来されたことだ。その種は忽ち(たちまち)コピーされて、全国に普及したことだった。鉄砲はその半世紀も前に中国に伝わったのに、シナ人の中華思想で真似することも、その技術もなかった。
鉄砲伝来からわずか32年後の長篠の戦いで、織田信長軍は鉄砲隊3000人を3隊に分けての一斉射撃で、武田軍に勝利している。新奇な物に遭遇した時の日本人の好奇心と、優れた対応とその機敏さは、戦後、トランジスターをみて、たちまちトランジスター商人となり、続くテレビも、自動車も、本場の米国を追い越した例に通ずるものである。明治維新直後に鉄道を輸入し普及し、やがて世界一の新幹線を走らせたのも、同じ線上の日本人の特性である。この特性の始まりを、鉄砲の普及に見ることができる。これで早くも日本は、白人侵略の手段である鉄砲を、こちらも持ってしまったのである。
次に侵略支配の先兵であるキリスト教であるが、当初、信長も秀吉も宣教師を優遇し、布教を許した。両者ともキリシタンの宗教部分には何の関心もなかったが、ただたんに宣教師が南蛮貿易に役立ち、海外情報を知るために利用できたからであった。キリシタンは当初九州で信者を増やし、キリシタン大名たちが勢力を伸ばしてきた。秀吉は九州征伐に際して突如キリスト教布教を禁止し、宣教師の国外退去を命じた(1587年)。バテレン(神父)の衣の下に武器を見たからである。
確かにザビエルは、ローマ教会の戦闘的一派ゼスイット派に属し、教会にはマニラから持ち込んだ鉄砲や弾丸を貯蔵していた。明らかに当時の神父は、侵略の先兵だったのである。家康は当初、貿易奨励のため、キリスト教に寛大な方針を採ったが、慶長10年(1605年)にはキリスト教徒は70万になり、教線も仙台にまで延びた。その発展は幕府に脅威を与えるとして、1613年、全国的に禁教令を発した。
(中略)
後発のオランダは、先発のスペイン、ポルトガルに領土的野心があることを幕府に密告し、独り幕府に取り入って1639年、鎖国令が出た後も白人国の中で唯一長崎・出島での貿易を許された。
260年の平和、教育、文化の充実
日本が軍事力を増強したことで、スペイン、ポルトガル勢力は、日本を侵略できなかった。そうしてこの両国は、ヨーロッパ内の勢力争いから脱落し、英仏蘭の時代を迎えるが、これらの国は世界の他の地域の侵略に忙しく、極東アジアにまで軍隊をさしむける余裕はなかった。一方、日本における江戸時代は、戦争のまったくない平和が260年も続いた世界的にも珍しい時代であった。このため人口は倍増し、学問や芸能で国民の質が著しく向上した。このことが幕末の混乱と外敵の襲来という国難を見事に処理し、明治維新から一挙に近代化を成功させた真の原因である。
江戸時代なくして明治はなかった。この意味で江戸時代は、日本の第一の近代化時代といってもよい。江戸を知らなければ明治を語れないといえるほど、江戸時代は大事な時期だったのである。武士が身分制度の最高位におり、かつ城郭が全国に100以上もありながら、戦争が一度も起こらないという平和な時代が、なぜ続いたのだろうか。江戸幕府は、中央機構の完備と参勤交代制度や武家諸法度、婚姻政策、隠密制度などにより謀反が絶対できないような見事な大名統制をしいた。
新田開発や干拓により、農地は初期の150万町歩から2倍の300万町歩になり、人口も江戸初期で2倍の4000万人に増加した。五街道の整備、河川、海上交通の整備で、人と物資の交流が盛んとなり、各地方の城下町、港町、宿場町、門前町が栄え、江戸、大阪、京都の三都が隆盛した。中でも江戸は、将軍のお膝下で、18世紀には人口100万人を越え、当時早くも世界最大の都市になっていた。大阪は天下の台所として近代流通、商業組織、金融組織の基礎を造った。都市の発達は、自由闊達な町人文化を生んだ。歌舞伎、浄瑠璃、俳諧、浮世絵など日本芸能文化の多くは、この江戸期に生まれたのである。
士農工商の最上位の武士階級は、戦争がないので武芸より学問文芸に励み、人格を陶冶する余裕を持っていた。幕府は昌平黌(しょうへいこう)を、諸藩は水戸の弘道館、会津の日新館、萩の明倫館などの藩校を造り、子弟の教育に努めた。庶民も寺子屋で読み書き、算盤、女子は茶の湯、生け花、裁縫を学び、国民の識字率は当時すでに世界一であった。寺子屋の数は一万にも及び、僧侶や武士、浪人が教師となった。サムライ(侍)という字が、人が寺に居るという構図からも分かる。
さらに心ある先覚者によって、各地に著名な私塾が開かれた。広瀬淡窓の咸宜園(かんぎえん)、緒方洪庵の適塾、吉田松陰の松下村塾などから多数の人材が輩出した。明治になって寺子屋は尋常小学校に、藩校は高等教育機関にスムーズに移行した。教育国家・日本の基礎が、江戸時代に出来上がっていたのである。(P220~P229)
(コメント)
一昔前、ジャパンバッシングが吹き荒れていた頃、日本人は物まねが上手なだけだと欧米人から揶揄されたことがあった。しかし、模倣してオリジナルより優れたコピーを生み出す日本人の能力が、16世紀の白人の侵略から日本を守ったことを知る日本人はあまりいない。種子島で手に入れた火縄銃をあっという間に自分達で量産し始め、短期間に日本の軍事力は増大した。そのため、スペインもポルトガルも手が出せなかったのである。こうした事実を知ると、白人の皮肉も負け惜しみに聞こえるから不思議なものだ。中国や朝鮮では最近になってもオリジナルの劣化コピーしか作れないが、16世紀には鉄砲を作る技術は持っていなかったようである。
キリスト教に改宗したキリシタン大名は、人身売買を行なっていたという報告がある。幾ばくかの火薬の樽と引き換えに、うら若き日本の娘達が海外に売られていったという記録があるが、そういったキリシタン大名やスペイン人・ポルトガル人の非人道的行為も、秀吉がキリスト教の禁教令を出した一因になったようだ。布教に見せ掛けて教会に武器を持ち込むなど、スペイン人・ポルトガル人の腹黒さがいかんなく発揮されたようだが、結局、何も出来ずに追い出されている。最終的に白人国家で交易を許されるのはオランダだけになるが、鎖国といいつつも完全には国を閉ざさないで、白人国家とのパイプを僅かだけでも残しておく徳川幕府の判断は絶妙だったと思う。この僅かなパイプが幕末の日本の危機に大きく役に立ったことは、歴史の示す通りである。
外国人が日本に来て買っていくお土産で人気なのが、100均ショップで売っているような安い扇子だそうだが、扇子に書かれているのは大抵、江戸時代の風景画や人物画だったりする。今や世界で大人気の和食の大部分は、江戸時代に完成したものが多い。明治時代まで日本人は一般的に牛馬や豚の肉を食べる習慣がなく、せいぜい食べても鳥やウサギ、猪や鯨程度だった。あとは魚や穀物野菜、卵などを食べていたわけで、伝統的な和食に肉が使われてないのはそのためだ。最近では懐石料理にも牛ステーキが付いて来る世の中だが、すき焼きなどの肉を使った和食は明治以降に出来たものである。日本独特と言っても良い文化が完成したのが江戸時代だったのであり、いかにこの時期が日本人にとって重要だったかが分かる。
まさにこの時期は、白人の侵略という大きな試練を前に、日本人が日本という母胎で育まれた時代だったことが理解出来るだろう。こういった歴史は、もっと日本人全体が誇りに思って良いものだと思うし、教育やメディアでもっと啓蒙するべきだと思うが、公共放送の大河ドラマでさえ、戦国武将を臆病な泣き虫として歪曲してしまう世の中では、それを期待するのも難しい。識字率は江戸時代より向上したが、言葉遣いと道徳は著しく下落しており、黒船はいないが在日米軍と反日勢力が存在している。幕末とは違った意味で現在も国難の時代なのである。日本という身体の内部で反日という名の病原菌が回っており、愛国心という名の白血球は著しく減少中だ。
日本郵政の西川社長の続投問題で、小泉・竹中・中川(秀)の横槍が入り、鳩山総務相が更迭されたが、こういう状況になると自民党が野党に下野する可能性が高くなる。小泉元首相の保守パフォーマンスに自分も騙されたクチだが、今や彼らの目的が莫大な日本郵政の資産や貯金を外資に売り飛ばすことであるのは明らかだ。かといって民主党が政権を取れば日本と日本人が特定アジアに売り飛ばされてしまう。前門のアメリカ、後門の特アといった状況であるが、それでも民主党を支持できないのは、日本が売り飛ばされると取り返しが付かないからだ。特定アジアの奴隷よりはアメリカの奴隷の方がまだマシという判断もあるが、ほとんど究極の選択に近い。これがアメリカから押し付けられた戦後民主政治の末路かと思うと腹立たしい気もするが、もう少しまともな選択肢はどこかにないものだろうか?

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