大日本帝国による台湾・朝鮮・満州への多大な貢献

日本の植民地の真実 黄 文雄著 扶桑社
一.何故日本人は「植民地史」を正しく検証しないのか
・「侵略戦争」への非難に対しては、周辺諸国に反論できる日本人は増えてきたが、「植民地支配」の問題に関しては、まだまだ贖罪意識が先に立ち、史実に真向かう『勇気』がない。
・志願し、選抜され、堂々と任務を遂行したという「台湾少年工」のプライドを、大きく傷つけてしまった「日本のメディア」かな。
・近代史をいくら調べてみても、日本政府が止まることを知らない朝鮮人の内地流入を拒否し続け、朝鮮総督府が板ばさみになって苦悩したという記録以外、「強制連行の証拠」はでてこない。つまり「強制連行」はまったくの『歴史捏造』なのだ。
・韓国人にとっても反日日本人にとっても、日本の植民地に関わる問題なら、どのような嘘でもまかり通すことができると考えている。
・植民地史の正しい検証をせよ。
ニ.「台湾・朝鮮・満州=日本三大植民地」説は糾弾目的の拡大解釈(=政治的な拡大解釈)
・台湾は、最初は「植民地」。最後のほうは「内地と同一化」。
・日本と韓国は『合併』したのであって。植民地などではなかった。合併国家という「国のかたち」は、列強時代における近代国民国家の間では、むしろ主流だった。自らの生存を確保するために、同君合邦で列強を志向する潮流があったのだ。
・満州国を日本の植民地と見なすのは、まったくの歴史歪曲である。というのは満州国は主権国家としての体裁を完全に整え、ドイツ、イタリアをはじめ、当時の半数近くの国家が承認していた『独立国』である。中国も、重慶の国民政府(共産党)は不承認だったが、南京の国民政府(国民党)は承認していた。いかに戦後の中国が「偽満州国」と罵っても、この事実は否定しょうがない。日本の「内面指導」を以って独立性を否定したがる向きもあるが、それは時代の情勢によるものであって、このような例は旧ソ連の衛生諸国をはじめ、古今東西、どこにも見られることである。
三.「奪った」のではなく「与えた」のが日本の「植民地統治」
・「日本の植民地」といえば、搾取、差別、略奪、あるいは虐殺、放火、婦女暴行と、極悪非道の限りを尽くしたかのように語られ、ことに韓国などは「人類史上最悪の植民地統治」とまで強調しているが、日本が台湾・朝鮮・満州で行ったことは、実は全くその逆である。むしろ『日本(内地)国民を搾取』して、つまりその血税をつぎ込んで、これら地域を経営し、日本並みの近代社会の確立を目指し、文明開化をもたらし、殖産興業を推進したのである。
・朝鮮の場合は日本統治時代の36年間、年額15~20%の割合で、『国庫の補填』を受けつづけていた。そもそも合邦前の朝鮮は国家財政が破産の状態にあったので、日本からの財政補助は赤字財政への補填でなく、大部分が「産業投資」だった。ことに米の生産は逆さや制をとり、1943年の政府買入価格は、一石あたり64円50銭であるのに対し、市場価格は43円であった。朝鮮総督府は万難を排して米の増産を指導し、それまで慢性的だった飢饉をなくした。それは台湾でも同じで、こちらでは食糧生産を4倍増加させている。そして猛威を振るっていた風土病の撲滅や近代医療の導入と普及といった衛生環境の改善努力もあいまって、この両地域の人口は倍増するに至ったのである。つまり日本人は「植民地」で虐殺を行ったどころか、逆に衛生学的環境を創出し、人々の『生命を守った』のだ。
・日本の恩恵をそれら以上に蒙っていたのが満州だった。元来大豆や雑穀しか獲れなかったこの地において、国家予算が20億円だった日本は、累計で130億円もの資金を投入して、飛行機まで生産する一大産業国家を忽然を現出させたのである。
四.東アジア世界を一挙に近代化した日本の驚くべき歴史貢献
・朝鮮は漢城(ソウル)を除けば、火賊、草賊が跳梁(チョウリョウ)しただけでなく、疫病が蔓延して十万単位の病死者がでることも珍しくなかった。漢城にしても糞尿の垂れ流し状態で、世界一「不潔な都市」として知られていた。
・満州では馬賊が名物で、台湾と同様瘴癘(ショウレイ)の地でもあった。
・東アジアを支配し、民衆を搾取し、貧窮に陥れていたのは、台湾では兵匪、土匪であり、朝鮮では党争、両班であり、満州では軍閥、馬賊だった。そこへそれに替わり、『日本の警察』という安定勢力が入り、社会の治安と秩序を確立したことで、法治社会が実現し、近代社会の成長も初めて可能になった。そして医療、衛生、教育の環境を構築し、東アジアの宿アであった瘴癘が克服され、衛生学的社会が生まれ、人口が急増したのである。人の命にとって疫病の流行は、匪襲や戦乱の数十倍、数百倍の脅威であり、これだけとってみても、日本の功績は絶大だったと言わざるを得ない。
・日本は台湾、朝鮮、満州で、鉄道、道路、港湾、飛行場、上下水道、電力、ダムの建設、治水治山、近代産業や近代都市の建設といった『インフラ整備』だけではなく、近代的な経済、経営、社会などの諸制度を確立し、伝統文化の保護や土着の言語、文字の体系化、社会科学、自然科学、近代思想、哲学、文学、芸術の普及、そして教育の普及等々を、見事なまでに成し遂げている。
五.最大の植民地帝国ーロシアと中国を語らない戦後植民地史観の欺瞞
・ロシア帝国も、その後継国家であるソ連社会主義帝国も、スラブ民族の『膨張主義的植民政策』の結果、形成された国家である。
・スラブ人のユーラシアにおける膨張は、モンゴル人支配から解放されてからのことである。以来「大陸制覇の夢」実現のため、シベリアや中央アジアを征服し、ロシア化政策を押し進めた。
・スラブ人は世界征服を、神から授けられたロシア帝国の使命という信念をもっていたが、ソ連もそれと同様に「世界革命」を使命として、モンゴル、東欧、アフリカ諸国へと勢力を拡大して行った。しかしこうしたソ連の動きを「侵略と植民地支配」と捉え、非難する学者は極めてまれであった。
・ロシア化政策よりもしたたかな「同化政策」で、領土を拡大したのが「中華植民地帝国」で、黄河流域の中原からじわじわと、周辺諸民族を中国人に同化し、今日の版図を築き上げた。
・中華帝国の植民史は、南進歴史でもあったが、この勢力南下の限界は、すなわち華北の限界でもあった。ところが戦後になって「世界革命、人類解放」のスローガンの下、中華人民共和国が植民地帝国として復活した。そして「農奴解放」との大義名分でチベットを軍事占領し、現在では「太平洋を中国の海」とすべく、軍備拡大に猪突猛進している。
・「日本の侵略と植民地支配」が非難される一方、戦後わずか半世紀の間、モンゴル人の内モンゴル、ウイグル人のトルキスタン(新疆)にだけでも、日本の総人口に匹敵する。一億二千万以上の中国人が押し寄せ、入植、支配を行っている。
・植民史、植民政策史を語るに際し、ロシアや中国のような盲点が出てくるのは、ソ連や中国を植民地主義に反対する「平和勢力」と見なしたがる、戦後の左翼的思潮のためである。日本を悪とし、社会主義国を善とする戦後学者の「欺瞞」が、いかに日本の歴史観を狂わしているかがよくわかる。
六.建設と破壊ー植民地主義と社会主義が残した遺産
・近代植民地主義は、植民地住民に対する宗教上の伝道、文明、人道、人権の伝播、経済発展促進のための、人類の理想と考えられてきた。宗主国は、それに文明、信仰、先進、進歩、さらには理性、禁欲、勇気をいった優越的な価値を見出していた。そしてその対極として、植民地住民の未開という「負の価値」をおいていたのだ。
・先進的な民族が、自立できない後進民族を保護し、教化し、開花に導き、新しい文明を与えることこそ文明国としての義務であり、自然の摂理であると考えられていた。植民地統治というものは、本国の利己的な目的によるだけでなく、先進国としての「崇高な時代的使命」とされていたのだ。
・そもそも植民地主義も社会主義も、ともに「解放の思想」であり、コスモポリタン的な思想であり、ユートピア思想であった。違うといえば、前者「先進的民族による解放」、後者は「先進的な階級(暴民)による解放」を考えていたという点だけである。
●この二つの主義は、ともに人類最高の理想と目されたものの、「植民地主義」は、20世紀中葉に、「社会主義」は20世紀末に、それぞれ崩壊した。社会主義のイデオローグは植民地主義を徹底批判し、「悪」の烙印をおしたものの、結果的に見れば、それをこえることはできなかった。歴史貢献や歴史遺産の面で比べるならば、植民地主義は世界の近代化という多大な「建設的遺産」を残したが、社会主義は「破壊」という人類にとって悲しい遺産しか残さなかった。
七.歴史の歪曲を糾して日本の「過去」に誇りと自信を持て
・古今のあらゆる「主義」「思想」「制度」のなかで、理想の実現を達成したものはほとんどない。フランス革命以来掲げられる自由、平等、博愛といった理念も、それらの実現は難しい。そうしたなか、最も理想の実現に近づいたものが、植民地主義だった。そしてその中でも、最も成功を収めたものが『日本の植民地主義』だった。
・日本が台湾、朝鮮、満州で残した「遺産」は、ハードの面だけでなく、ソフトの面においても莫大なものがある。台湾や韓国の近代国家としての基も、戦後の中国経済を支えた満州という財産も、みな日本の「遺産」でないものはない。
・戦乱と飢饉で社会秩序が崩壊した19世紀の東アジア世界の中で、日本だけが江戸時代以来の超安定社会を維持していた。そして西力東漸に直面しても、唯一西欧文明の受容に成功し、列強に対処できるだけの人的、物的な基礎を構築した。よって日本の勢力の伸張する所にも、必ず秩序ある安定社会が形成されたのだ。又日本が匪西欧文明圏のなかで、唯一「資本の蓄積と技術開発の能力」を持っていたことも、それら地域には幸いした。
・日本は「文明開化」「殖産興業」「脱亜入欧」との近代社会建設の理念を、イデオロギーから「信仰の次元」にまで高めていた。日清・日露戦争の勝利はその成果である。そしてここで培われた経験、知識、知恵が台湾、朝鮮、満州へと拡散し、第二、第三の文明として開花し、その波は支那事変勃発後、中国の占領地にまで及んでいた。日本の植民地主義の理念はアジアを興隆させたのである。しかもそれだけではない。戦後も日本の技術と資本はアジアに拡散し続け、台湾や韓国等のアジアNIESやASEAN諸国、そして中国をも繁栄させている。
・日本人は大いに「過去に誇りを持つべき」なのだ。そのためには日本の植民地の真実の歴史を正しく理解しなくてはならない。そこで最近私は、日本の植民地主義が東アジア世界を一新したことに関し、『台湾 朝鮮 満州 日本の植民地の真実』(扶桑社)の一書を書いた。
国家の名誉も主権も守ろうとしない政治家はもうどうでもよいとしても、心配なのは次の若い世代だ。私は夜間に無気力、無目的で路上にたむろして「生きていても仕様がない」と嘆いているという最近の少年たちの話を聞くにつけ、とても心を痛めるものである。青少年に生をも放棄させるような戦後日本の教育は、すでに崩壊していると言わざるを得ない。この書を書いたのは、このような日本の現状を見て、日本人を励ます為に、私も立ち上がらなければならない、そのためにはこれを書くしかない、と痛感したからだ。
日本人が自信を取り戻すには、「歪曲された歴史を糾すしかない」ということを訴えたい。
引用元
http://ryutukenkyukai.hp.infoseek.co.jp/syokuminchino_sinjitu1.html
朝鮮半島の本当の歴史
(コメント)
個人的には日本の統治を植民地と表現するのには抵抗があるが、内容的には非常に素晴らしいので黄文雄氏の著作である『日本の植民地の真実』を御紹介したい。戦後の中国、韓国、台湾の繁栄は日本を抜きにしては語れない問題であり、中国での日本軍の行動は、反日勢力によって捏造され歪曲されている。韓国、中国の反日プロパガンダで、日本兵は残虐だったと宣伝されているが、実際に現地で略奪やレイプなどの犯罪行為を行っていたのは、中国兵や馬賊であり、給料のない彼らにとって、これが給料であり報酬だったのである。日本軍は世界でもっとも軍律が厳しく、現地民に犯罪行為を行なえば、軍法会議にかけられ、重営倉入りだった。むしろ日本軍が現地民を保護した側面が強く、満州の現地民は日本軍に感謝していた。だから戦後、満州に取り残された日本人の子供を温かく保護して、育ててくれたのである。
日本人には、一般市民を無産別に大虐殺するという発想はない。日本の長い歴史を顧みても、そういった行為は見受けられない。為政者がそんなことを行なえば、政権の正当性を失い、朝廷から追討の詔が発せられ、各地で討伐の動きが出て、たちまち政権がひっくり返ってしまうだろう。日本独自の国体の長所でもあるが、こういった歴史に育まれた日本人の品性は、世界でもかなり民度が高い部類に入る。中国、朝鮮、白人の歴史の中では、大虐殺は珍しいことではなく、南京大虐殺というのは、いかにも戦勝国の発想ででっち上げた冤罪であることが分かる。
日本軍の戦陣訓として三光作戦がでっち上げられたが、光という字は中国語で殺すという意味があり、名称からして日本軍由来のものではない。南京大虐殺の前後の南京の人口の公式記録は変化しておらず、微増すらしている。だいたい人口20万人の都市で30万人が殺されたというのはどこのお伽話なのか。写真は全て合成か、日本で発表された写真の使い古しで、調べれば調べるほどボロが出てくるものばかりだ。中国訛りの日本語を喋る日本兵の格好をした人物が出てくる映像も、いつどこで撮影されたか詳細不明の、証拠能力のない笑止な代物である。
文化大革命で粛清された中国人の遺体を展示し、南京大虐殺記念館と称して、多くの人間を騙してきたようだが、そもそも白骨を供養せずに見せ物としてさらす中国共産党の民度の低さが全てを物語っているように思える。しばらく前に、中国人がアメリカ人に「南京大虐殺の時、中国軍は何をしていたのか」と問われ、調べても答えが得られず、回答に窮したというニュースがあったが、事件そのものが存在しないのだから、答えが見つかるはずがない。答えが見つかると思っているのは反日中国人の脳内だけの話ではないだろうか。蒋介石も毛沢東も戦後賠償を放棄しているし、蒋介石にいたっては在支邦人の帰国に全面協力している。日本軍が本当に南京大虐殺を行っていたならこのようなことはしなかっただろうし、現地民や部下が納得しなかっただろう。いつまでもガイコツ並べて、日本人を欺き続けられると思っているとしたら、中国共産党の幹部の頭もかなりおめでたいと言わざるを得ない。

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