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Date : 2009年06月08日

ヨーロッパ列強によるアフリカ分割

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ヨーロッパ列強によるアフリカ分割

侵略の世界史  ~この500年、白人は世界で何をしてきたか~



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ヨーロッパ列強のアフリカ完全分割

18世紀後半にイギリスで産業革命が進み、そして19世紀のはじめには、イギリスは「世界の工場」と言われるまでの経済の黄金時代(ビクトリア時代)を迎えた。これに刺激されてフランスもアメリカも、1830年代から、ドイツは1840年代から、ロシアは1860年代から、それぞれ産業革命が起こり始めた。このため19世紀末期から20世紀初期になると、ヨーロッパ列強では産業に必要な物産資源の獲得と市場拡大のため、より以上の植民地の必要性が急激に高まってきた。各国間での産業競争が激しくなるにつれて、欧州外での植民地争奪競争もまた激化した。

ヨーロッパ人にとってアフリカは、北部の地中海沿岸地域が知られていたのみで、広大なサハラ砂漠が横たわる背後の地域は、魅力のある土地ではなかった。ただ黒人を奴隷狩りして、つかまえ、新大陸に売り飛ばす点にのみ、関心が集中していた。しかし19世紀の半ばになり、さしもの奴隷貿易が下火になる一方、リヴィングストンやスタンレーら、白人によるアフリカ内部の探検が盛んになるにつれて、ヨーロッパ列強は目の色を変えてこの大陸に突進してゆくことになった。

1870年代、アフリカにおける白人の支配地は、沿岸部を中心とする10パーセントぐらいだった。ところが、1900年代には、エチオピア、リビア、南アを除く全ての土地が、白人のむしり取る格好の場となった。まるで無人の野を行くが如く、早いもの勝ちのすさまじい分捕り合戦が始まった。一番たくさん分捕ったのがフランスで、イギリスが二番目、以下ドイツ、ベルギーと続き、最後がスペイン、イタリアである。しかし、フランス領には広大なサハラ砂漠が含まれるので、実質一位はイギリスと言ってよい。フランスはアジアとアメリカ大陸でイギリスとの植民地争奪戦争に敗北したので、その分をアフリカで取り戻そうとして広大な土地を手に入れたが、その大部分は砂漠であった。ところが、イギリスは、エジプト、東アフリカといった主要部分を、実に計画的、地政学的に取得してきた。さすがにイギリスは七つの海を支配するだけの、第一級の植民地大泥棒国であることを実証した。

現在のアフリカ諸問題の根源は、すべてヨーロッパにある

そもそもアフリカは、人類誕生の地である。アフリカ東部で発見されたホモ・ハビリスの化石は、150万年から200万年以前のものだそうである。この大陸は、海岸線がきわめて単調で屈曲に乏しく、しかも沿岸台地が海に迫り、直接概要の波浪が打ちつけるため、湾や入り江のある良港に恵まれていない。だから外洋から船が河川を遡って内陸奥深くまで舟航することが不可能で(ナイル川は例外)、このためアフリカの外界との交流は疎外されてきた。

さらに気候条件も恵まれない。北部と南部の回帰線あたりには、サハラ砂漠とカラハリ砂漠の大乾燥地帯が横たわる。アフリカ大陸の中豪を赤道が通り、この御を中心とする熱帯雨林地帯が広がり、これを取りまいて草原のサバンナ地帯や乾燥疎林地帯が続いている。このような不健康な気候のため、疾病や飢饉が襲って死亡率も高く、全アフリカで人口は約6億7000万(1992年)と、世界の諸大陸中、最も希薄である。その原因は、この厳しい自然環境のほかに、白人がもたらした人為的なものである。つまり、16世紀から19世紀に展開された奴隷貿易で、働手である大量の青年男女が奪い去られたからである。

また、アフリカ諸国の国境が、今日においても、定規で線を引いたような直線的な様相を呈しているのは、白人本国の都合で住民、人種を無視して勝手に分割統治したからである。同一民族が二つに分離されたり、対立民族が同じグループに一まとめにされたりした。このような民族の歴史、文化、生活を全く無視した不合理な分割統治が、今日のルワンダをはじめとするアフリカにおける地域紛争や不幸の根源になっている。また、労働力がゴムやコーヒーなどのプランテーションへの強制労働に駆り出されることによって起こる飢饉や、白人がもたらした文明病による疾病、さらにソ連からの共産イデオロギーによる紛争など、現在アフリカがかかえる悲惨な問題の根源は、突きつめるとすべてヨーロッパに起因していることがわかるのである。(P164~P169)


1914年頃の欧州列強のアフリカ分割状況africa_1914.gif

(コメント)
アフリカの諸問題もそうだが、中東のイスラエル紛争も欧米の白人達の勝手な行動から生まれたことは、あまり知られていない。一般的なユダヤ人として認知されている白人系のユダヤ人(アシュケナジー系ユダヤ人)は、7世紀に黒海沿岸に存在したハザール王国の住人の末裔であり、旧約聖書に出てくる古代イスラエル民族とは全く関係のない人達である。ユダヤ人という呼称は、ユダヤ教徒に対して用いられるもので、血統は全く関係ないのである。ハザール王国は政治的な都合で国ごとユダヤ教に改宗したが、その後滅亡して、アシュケナジー系ユダヤ人が大量に残された、という訳である。

ハザール王国とロシアのユダヤ人の謎

第二次大戦終了後、イギリスが領有していたエルサレム付近の土地に これらアシュケナジー系ユダヤ人を入植させたのがイスラエルの始まりである。旧約聖書に登場するモーセなどの古代イスラエル人は、聖書にも明記されているように有色人種であり、イエスも有色人種なのである。中東の元々の住人達の顔を見れば分かるように、ほとんどが有色人種である。有色人種の中に突然、金髪碧眼の白人民族が自然発生することはないし、アシュケナジー系ユダヤ人の遺伝子的な起源が欧州にあることも、研究で裏付けられている(リンク先を参照)

有色人種のユダヤ人はスファラディ系ユダヤ人と呼ばれ、現在のイスラエルでは差別され、イスラエル社会の底辺を形成している。欧米の白人達によって、パレスチナ人から土地を取り上げて強引に建国されたのがイスラエルという名の国なのである。中東起源ではない人達を 欧米が植民地として奪った土地に入植させたのがそもそもの紛争の原因となっており、公正な観点で考えれば、アラブ人達が怒るのも無理はない話なのである。

イスラエル維持のために、現在も多くのアメリカ兵が中東で血を流しているが、イスラエル問題やアフリカの紛争などの主要な国際紛争の原因を突き詰めれば、最後には欧米列強の植民地支配の負の遺産に行き着くことが多い。中国、韓国、台湾の戦後の経済繁栄の原因を突き詰めれば、結局は日本の統治にたどり着くのとは対照的である。自国政府によって捏造された歴史を信じ込み、反日プロパガンダに毒された中国人、韓国人と、今も白人支配の負の遺産に苦しむアラブ人やアフリカ人の唱える歴史は、重みも現実性も異なることを忘れてはならないだろう。

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