アメリカの歴史の真実③

アメリカの歴史の真実③
侵略の世界史 ~この500年、白人は世界で何をしてきたか~
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アメリカが侵略戦争を仕掛けるときの常套手段
西部開拓がほぼ終了すると、アメリカは、アメリカ独立に刺激されて独立したばかりの近隣の中南米諸国に、度重なる介入、侵略を行ないはじめた。まず、1845年、アメリカはメキシコから独立したテキサスを併合した。その後メキシコと戦争を起こし、(米墨戦争、1846年~1848年)、その勝利によってニューメキシコ、アリゾナ、カリフォルニア州など、南部、西部の広大な領土を併合し、国旗の星の数を一挙に増やした。
この戦争の開戦の契機が「アラモ砦の戦い」だった。しかし、この戦いは、アメリカが自国のアラモ砦を囮にして相手を挑発し、わざとメキシコ軍に先制攻撃をさせ、自軍に相当の被害を出させたうえで「リメンバー・アラモ砦」を合言葉に戦争を正当化し、国民を鼓舞して反撃に移るというもので、これは、この先アメリカが侵略をするときの常套手段となるのである。
次いで1898年、米国は、ハバナを表敬訪問中の米戦艦「メーン」を自ら爆沈させ、2060人の乗組員を犠牲にし、これを敵がやったことにして「メーン号を忘れるな」を合言葉に国民を戦争に駆り立て、有無を言わさず、スペインに宣戦布告した。この米西戦争は、キューバの独立戦争を支援する名目で始めながら、実質的にキューバを保護領化してしまい、合わせてスペイン領のプエルトリコをも領有するものだった。これによりアメリカは、中南米諸国に対する軍事的、経済的支配を強化するための前進基地を獲得することが出来た。
アメリカの侵略、戦端の動機は、当初から一貫した手口を使ってきている。そのことは「アラモ砦」でも見たとおりだが、歴史に正当性を残したいため、そうした子どもじみた騙しの技巧をこらすのである。“真珠湾を忘れるな”も、ルーズベルトが「騙し討ち」という罠に日本をはめて開戦の動機にしたことは、今や世界の常識となっている。このことについて、大統領の長女の娘婿である、カーチス・B・ドール氏が語る真実のルーズベルトの言葉「私は決して宣戦はしない、私は戦争を造るのだ」が、すべてを物語っている(馬野周二著『操られたルーズベルト』プレジデント社)
この手は湾岸戦争でも使われたフシがある。イラクのフセインを騙し、クウェート進攻に誘い出し、フセインを侵略者に仕立てて世界に宣伝し、待ってましたとばかりアラビアに集中していた55万の米国の大軍を一挙に出動させた。用意周到の準備がなければ、あれほど手際よく大軍を動かし短期戦が出来るはずはない。日本をはじめ世界中から戦争協力の冥加金を集め、新兵器の商品見本市を果たし、大量の武器弾薬を砂漠に打ち込み、「死の商人」の在庫を一挙にカラにし、この戦争ビジネスは見事に成功、収支決算でおつりがきたそうである。この大芝居も世界はいまだに米国の聖戦だと思い込まされている。このようにアメリカ軍の戦争は、すべて敵が仕掛けたかのように宣伝し、止むなく立ち上がった聖戦に仕立てて、輝かしい歴史を残そうとする。アメリカはヤラセの名人なのである。
アメリカの太平洋進出と、ハワイ強奪
1898年の米西戦争は、極東においてアメリカがスペインを押さえて、アジアでの覇権を握る一大契機となった。すなわち米極東艦隊は、フィリピンのマニラ湾でスペイン極東艦隊を撃破した。米西戦争が始まった時、フィリピン人の独立革命家のアギナルドや、リカルテは、独立を助けてくれるものと米軍に大いに協力した。地元革命軍を利用してスペインに勝った米国は、一転、革命家を騙してフィリピンを米軍領土に組み入れてしまった。騙されたと知った革命家は、日本に援助を求めながら、激しいゲリラ戦を展開するのだが、目的を果たせなかった。
アギナルドやリカルテなどの先住民の独立戦争を鎮圧して、初代軍政長官に就任したのは、アーサー・マッカーサー陸軍少将で、その副官が息子のダグラス・マッカーサー中尉であった。さらにアメリカは、勢いにのtって、太平洋の島々、ハワイ、グアム、サモア群島を奪取し、太平洋上に極東進出の多くの拠点を確保することができた。中でもハワイは先住民のカメハメハ王朝下にあって、明治以来、日本人の移民が多かったので、アメリカは日本に奪われるのではないかと危惧し、リリウオカラニ女王を騙して王朝を滅ぼし(1893年)、米領土に編入してしまった(1898年)。その折、ハワイの女王は明治天皇に救援を求めにきたが、日本には、まだ米国と戦う力がなく、見殺しにするより仕方なかった。
カリブ海域でもアメリカは、キューバに度重なる軍事介入をするとともに、パナマ、ドミニカ、ニカラグア、ハイチなどに介入した。かくしてカリブ海は米国の裏庭となった。中でも、1903年のパナマ保護領化は重大である。すなわち1914年、パナマにアメリカはパナマ運河を開通させたが、これによって大西洋と太平洋を結びつける重要な流通路を獲得し、南米大陸の航海権、通商権を完全に掌握することができた。さらには、いよいよアメリカは、太平洋から極東に向かって覇権を拡大するチャンスを得たのである。こうしてアメリカの侵略最前線は、はるばる太平洋を越えて、いよいよ日本の目の前までやってきたのである(P197~P202)
(コメント)
アメリカの歴史をつぶさに観察すれば、アメリカのよく主張する正義や大義などは単なるお題目に過ぎないことがはっきりするが、アメリカがハワイを侵略し、南洋諸島やフィリピンも植民地化した事実を考えれば、遅かれ速かれアメリカの策謀によって、日本は戦争に引きずり込まれていたのかもしれない。アメリカの太平洋進出と東南アジアでの欧米植民地の惨状を見れば、戦前の日本が感じた白人国家の侵略の圧力をひしひしと理解することが出来ようというものだ。
周囲を見渡しても欧米の列強ばかりという状況下では、日本が軍国化するのも無理からぬところで、国力が日本の10倍以上の侵略国家に囲まれて、専守防衛だ憲法9条だなどと言っていては、たちまちハワイの二の舞になっていただろう。日本は石油等の重要資源は大部分を海外に依存しており、その海外とはアメリカ合衆国や欧米の植民地のことである。そんな状況下で好き好んで自分達の方から欧米に対して戦争を仕掛けるわけがないのであり、大東亜戦争の開戦も、欧米列強による資源の禁輸がなければ、決して日本側から攻撃を仕掛けることはなかったのではないだろうか。
一方のアメリカは、資源の輸出を制限することで、いつでも日本を追い詰め、自分の手を噛ませることが出来たのであり、石油の一滴が血の一滴と言われた時代に石油の禁輸をやられては、日本は戦う以外に選択肢がなかったのが現実である。かくしてアメリカの御家芸である「リメンバー〇〇」がまた一つ出来上がり、アメリカ人が正義だ何だと得意げに自慢する話の種が増えたわけである。アメリカは建国の歴史自体が呪われているので、必要以上に歴史に正当性に求めると同時に、民主主義という政体をうまくコントロールし、国民を動かすためにわざわざ手の込んだショーを演出しているのだろう。
日本は大東亜戦争の敗北後、ハワイのような滅亡こそ回避したが、二度と白人に逆らえないように占領憲法を押し付けられ、在日米軍が居座り、教育や報道によって幼い頃から自虐史観で洗脳され、大和魂は完全に抜き取られてしまった。愛国心なき国家は滅びるのが歴史の真理だが、日本の場合、学校で教師が愛国心を持たないように教育し、テレビでは公共放送でさえ率先して自国を嫌いになるような番組を放送している。これで100年後も日本が無事に存続していると考える方が、楽観的過ぎるのである。
大東亜戦争は終わったのではなく、形を変えて継続しており、思想戦、情報戦が続いていると考えるのは短絡的過ぎるだろうか。しかし、このまま日本人が腐り続ければ、亡国は避けられないのであり、それを見て喜ぶのは旧連合国であることは間違いないだろう。東京裁判史観は日本を滅ぼす遅効性の毒薬であり、これを早期に取り除かないと、いずれ取り返しのつかない事態になるのではないだろうか。
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