天皇陛下のお魚 「プラーニン」

プラーニン(仁魚)とは?
今上天皇陛下(平成天皇という名は崩御後のおくり名になるので、即位中の天皇陛下はこのように呼ぶ)が、皇太子時代にタイのプミポン国王からタイの食料事情の悪さについて相談を受け、ティラピア(ナイルティラピア)を50匹タイに寄贈し、それがきっかけでティラピアがタイの国民的食用魚になった。ティラピアはタイ名でプラーニン(仁魚)と名付けられ、現在も広く親しまれている。
ナイルティラピア

日本名はティラピアとテラピア、どちらでもOK。もともとアフリカと中近東に分布したが、食用にするため世界各地の河川に導入された。雑食性で淡水、汽水の様々な環境に適応するが、冷たい水には棲まない。味は白身であっさりしていて美味。日本では沖縄などで自然繁殖している。日本での流通名として、イズミダイと呼ばれることもある。
日本とタイを泳いだ魚、プラーニン みんなの大学ねっと。ブログ
http://kyushokuchu.blog53.fc2.com/blog-entry-17.html
わたしは基本的にテレビを見ないのだが、先日なかなか面白い番組をやっていた。それは皇室関係の特番。紀子さまの出産前に合わせてなのか、出産までの経緯なども扱っていたが、それ以外にも他の皇族のエピソードなども交えた内容盛りだくさんの2時間番組であった。
数あるエピソードの中で、もっとも感動したのが「プラーニン」の話題。この魚は現在のタイでは安くて栄養のある大衆魚として広く普及しているらしいのだが、その普及に何と今の天皇陛下が関わっていた!という話である。
事の発端は、当時皇太子であった天皇陛下がタイの養殖試験場に足を運んだことにあったらしい。当時はタイも戦後の貧しい時期であり、タイの国王は国民のタンパク質不足に悩んでいた。そして、その解決策としてタイでは魚の養殖を研究していたのだった。その光景を見ていて、天皇陛下はそのとき研究していたものではなく別の魚をお勧めしたのだそうだ。後にその魚は天皇陛下からタイ国王に贈られ、王宮の池で飼育された後に漁業局に配られて大規模な繁殖が行われるようになった。その魚こそがプラーニンであった。
何で天皇陛下が?と思われる方もいらっしゃるかもしれないが、実はこの方は魚の研究者なのだ。
「ハゼの分類学的研究者であり、日本魚類学会に属して28編の論文を同学会誌に発表している。平成12年(2000年)には海外誌Geneに第一著者として論文が掲載されている。また平成4年(1992年)にはScience誌に"Early cultivators of science in Japan"という題の寄稿を寄せている。魚類学における業績は各国で評価されている。」 (wikipediaより)
こういった経緯で、プラーニンはタイにやってきた。最初に贈られた50匹は繁殖しやすいという評判どおり大増殖し、今ではすっかりタイの庶民の味として定着しているのである。育てるのが簡単ということで、学校での実習としてプラーニンの養殖がカリキュラムに組み込まれているところもあるという。また、1973年にバングラディッシュが食糧危機に陥ったときには50万匹のプラーニンがタイから寄付されたそうである。タイばかり出なくバングラディッシュ国民の命も救ったのである。
日本の天皇陛下が他国のお役に立っていたということ、しかも栄養改善という末端の末端の目に見えにくい、しかし何よりも大切な部分で関与していたということは、聞いていて何ともうれしいことであった。けれども、それ以上にうれしかったのは、タイの人々がそれを感謝してくれているということであった。プラーニンというのはタイの呼び名で、その名はタイ国王によって命名されたとのことであるが、その由来は何と天皇陛下の名前である。天皇陛下の名前の「明仁」から「仁」を取って、それをタイ語で「魚」を意味する「プラー」と組み合わせて「プラーニン」。タイ国王の敬意を感じることができる名である。
それに加えて、この魚が日本の天皇に由来している魚であるということをタイの方々が忘れずに、次の世代にも伝えてくれているということである。授業の一環として養殖で扱われるということを紹介したが、その際には必ずこのエピソードに触れられるそうである。他の方のブログでのアンケートでは、質問したタイ人10人中全員がプラーニンを知っており、その中の7人は天皇陛下が寄贈したことを知っていたという。
タイ在住の日本人の方々のブログから
陛下のお魚「プラーニン」 タイ☆キング of フリーダム in クルンテープ(バンコク)
http://blogs.yahoo.co.jp/torahito68/38304084.html

実は私は、タイに住んで6年目なのですが、今回のお題の「プラーニン」知りませんでした。りんさん(りんの独り言 bl Ver.)のコメントで、初めて知りました。どうも社員食堂などで、何の魚かも知らずに食べてはいたようですが・・。
結論から言いますと、プラーニンは、こちらタイでは広く知られているポピュラーな魚です。このプラーニンについて簡単に説明いたしますと、40年前に今上天皇(当時皇太子)がタイをご訪問された際に、タイ国王から「国民の栄養不足解消に何かいい手立てはないか」といった相談を受け、翌年、プミポン国王に50匹寄贈され、それをタイで養殖するようになったのが始まりだそうです。
この記事を書くに当って、タイ人にちょっとしたアンケートを実施しました。。。10人ですが。
結果です。
Q 1 プラーニンを知っていますか。
はい 10人 いいえ 0人
Q2 プラーニンは美味しいですか。
美味しい 3人 まあまあ 6人 美味しくない 1人
Q3 プラーニンは、天皇陛下(当時皇太子)が寄贈した事を知っていますか。
はい 7人 いいえ 3人
プラーニンのタイでの位置づけは、昔の日本に例えるなら、いわしみたいなもんでしょうか。味は、そこそこだけど安くて栄養があるよ。てな感じで。育てやすい、繁殖しやすいと言った意見がありました。
食べ方としては、写真のようにカリカリに揚げてしまうパターンが多いようです。味が比較的淡白なので、ナムチムカイ(写真左上)という甘辛いソースをつけて食べたりします。その他の食べ方としては、スープ(トムヤム系)に入れたりするというのもあるそうです。
今回のタイ国王在位60周年記念で各国から集まった国王・皇族の中でも、天皇・皇后両陛下の印象が一番良かったといった記事が、こちらのメジャー新聞「タイラット」に載っておりました。
ザクロ色した魚の唐揚げ タイに魅せられてロングステイ
http://ameblo.jp/hiro-1/entry-10354449183.html
毎日のように海魚料理を食べても、飽きることがないほどの魚大好き人間でした。
バンコクには日本スタイルの居酒屋が多く、
いつでも日本食を食することができる幸せがあるのですが、
新鮮な日本近海魚となると、
殆ど絶望状態と言っても過言ではないように思います。
タイ人の多くは、天然の海水魚よりも、養殖の淡水魚の方を好む傾向があります。タイ湾から遠く離れた内陸部や山間部ならば理解もできるのですが、海岸線に近い地域の人々も、養殖の淡水魚を好むのは何故なのでしょうか。
タイ湾に程近い魚市場を覘いて見ると、やはり淡水魚のオン・パレードでした。
庶民が愛するプラー・ニン ปลาืนิง ( テラピア )
タイ魚料理の定番のプラー・チョン ปลาช่อน ( 雷魚 )
秋篠宮の大好きなプラー・ドゥック ปลาคุก ( なまず )
淡水魚の高級魚とされるプラー・タプティム ปลาทับทิม ( ザクロ魚 )

養殖淡水魚の高級魚・プラー・タプティム ( ザクロ魚 ) 一匹150バーツ ( 約430円 )
“ プラー・タプティム ” は、
市場の魚屋さん、スーパー・マッケトで容易に買い求められますが、
養殖の淡水魚の中では高級魚として扱われているだけあって、
タイ庶民の魚とされる “ プラー・ニン ” ปลาืนิง ( テラピア ) よりも2倍から5倍の高値で売られています。
プラー・タプティムの代表的な調理方法としては、
“ 蒸し + ライム味漬し ” と “ 唐揚 + 大蒜塗し ” がありますが、
僕のお好みは、淡水魚の匂いが完全に消え失せる大蒜たっぷりの唐揚です。
家内と僕の二人だけの我が家の食卓では、
30cmもある大振りの魚( 1匹 150バーツ、約430円)は大き過ぎるので、20cm程度の小振りの“ プラー・タプティム ”( 230円 ) で充分です。
聞くところによると、
養殖高級魚の“ プラー・タプティム ”の素性は、
タイ庶民の大衆魚 ( 養殖 ) と称される “ プラー・ニン ” ปลาืนิง を交配させて産み出された魚種なのだとか。
タイの大衆的な養殖魚となった “ プラー・ニン ” の誕生の背景には、
今上天皇 ( 平成天皇 ) が皇太子 ( 明仁親王 ) だった頃の逸話がありました。
《 タイ仏暦の2507年 》 西暦 1964年12月
日本の皇太子と美智子妃殿下がタイ国をご訪問された折に、
タイ国王から “ タイ国民の蛋白質不足問題 ” の話を拝聴。
《 タイ仏暦の2508年 》 西暦 1965年3月25日
魚類学者でもある皇太子は、タイ国王の抱える問題解決の一助として、50尾の “ テラピア・ニロチカ ” ( イズミダイ ) を贈呈。
《 タイ仏暦の2509年 》 西暦1666年3月17日
タイ国王は、チトラダー宮殿内の池で50尾を飼育。
3~5cmに育った約一万尾の稚魚を漁業局に御下賜。
その折に、
“ テラピア ” のタイ語名を “ プラー・ニン ” ปลาืนิง と御命名され、この養殖魚をタイ国民の蛋白源として広めるように御下命。その後、僅か6ヶ月で300g以上にも生育する雑食性の “ プラー・ニン ” は、タイ全土に普及、今や、タイ国民の重要な蛋白源の役を果たしています。
タイ国王が、この魚の名前を “ プラー・ニン ” と命名されたのは、
日本の皇太子名の “ 明仁 ” の “ 仁 ” の音読みから採られたとあります。
タイ王室と日本の皇室の良質な関係が、
次世代にも引き継がれることを祈念したいと思います。
( 注 )
プラー・ニン ปลาืนิง ( 意味合い : 明仁親王から提供を受けた魚 )
プラー ปลาื = 魚 、 ニン นิง = 明仁親王の名前の一字
(コメント)
2010年の最初の記事は何にしようかとあれこれ考えた末、天皇陛下のお魚の話題に落ち着いた。依然として亡国の民主党政権が続いており、小沢の家で大新年会だとか、あまり明るい話題はないが、皇室の良い話でも読んで気晴らしにしていただけたらと思う。
プラーがタイ語で魚、ニンが明仁陛下の「仁」で、プラーニンとうタイ名になったようだ。漢字で書くと仁魚となる。ティラピアという魚は、日本ではこっそり回転寿司の代用魚になったり、白身魚のフライになったりしているようだが、タイでは国民全体に広く愛されており、学校の授業でその由来をきちんと教えているところが素晴らしい。プラーニンにまつわる話は、日本の皇室とタイの王室の親密ぶりも窺えて、とても興味深い。
天皇陛下はご自身がアメリカから持ち帰ったブルーギルが国内で大繁殖したことについて、会見で遺憾の意を表明されたことがあるが、プラーニンはタイの人達の栄養状態を改善し、広く喜ばれ、陛下の徳を高める結果となったようである。こういった逸話も、知らぬは日本人ばかりなりで、せいぜい一部のブログで紹介されたり、極稀にテレビで放送される程度なのだから、日本の社会がいかに歪んだ状態にあるか、理解出来ようというものである。
タイ国民の国王への尊崇の念は強く、そのつながりでタイ王室と親密なつながりのある日本の皇室にも、相応の敬意を払ってくれることが多い。日本人よりタイ人の方が日本の皇室について詳しいのは国際的な恥なので、タイに仕事や旅行で訪れる際は、プラーニンの由来ぐらいは一般常識として、是非覚えておきたいものである。

災害に苦しむ国民に勇気を与える天皇皇后両陛下
災害に苦しむ国民に勇気を与える天皇皇后両陛下
わが国は地勢学上、地震や台風が多く、国民が大きな被害を受けることも少なくない。大きな災害で被害が出る度に、天皇皇后両陛下は災害に苦しむ住民達の避難所を御訪問され、慰め励まし、勇気付けている。阪神淡路大震災や新潟中越地震による大きな被害は未だ記憶に新しいが、この時も余震の危険性が大きいにも関わらず、天皇皇后両陛下は積極的に現地の避難所を御訪問されている。
阪神淡路大震災の時に避難所を天皇皇后両陛下が御訪問した際のインターネット上の書込みを集めてみたので、参考にしていただきたい。
>>382 ?
私が西宮の避難所にいるとき、天皇陛下と皇后陛下が訪問してくださいました。お付きの方もいらっしゃいましたが、天皇・皇后両陛下は御自分で動き回られ、 避難所にひかれた毛布の上に膝をつかれて、避難所にいるほとんど全ての被災者を慰め、励まされておられました。その姿を見て、思わず背筋が伸びたものです。また、両陛下のお姿を拝見していますと、言葉では言い表しがたい勇気のような ものが湧いてきたのも覚えています。
阪神大震災とき村山首相が行っても避難所被災者はソッポを向いていたが、両陛下の行幸啓には皆感激し、涙を流す人もいた。 皇室は常に国民とともにあるのだ。理屈ではない。
○811 :名無しさん@6周年:2006/04/11(火) 09:27:00 ID:H8Z1b5en0
皇族の地方公務には意味があるよ。私は阪神大震災経験者。避難所でじっと座っていたら、明日天皇皇后両陛下がいらっしゃるという話を聞いた。マスコミの無神経取材攻勢につかれきっていたし、こんな時になんだよ…と半ば腹立たしく思っていた。両陛下がいらして、私は自分のスペースで座ってた。そうしたら、うつむいた視界に、細い膝頭が目に入った。顔を上げたら、ものすごく優しそうな、でも悲しそうな笑みを浮かべた皇后陛下がいらした。『ご家族はご無事でしたか?』と言われ、『妹が…』と答えたら、言葉が続かなかった。妹は、目の前でゆっくり崩れていく
建物の下敷きになった。すると、皇后陛下が柔らかく私の手を包んでくれて、『どうか、しっかり生きて。がんばってね。しっかり生きてね』と仰った。お声が震えていらして、まともにお顔をみることは出来なかったけれど、涙ぐんでおられたようだった。あの手の温かさ、優しい気品のある声は、 すさみきった心になんともいえない力をくれたと思う。今でも忘れない。
以下はmumurブルログのコメント欄より
○自分は震災当時神戸市民でした。幸い避難所生活はまぬがれましたが、避難所が設立されなかった地域が故に食料などが入手困難になり、かと言って眉毛首相はのん気な発言の繰り返し、完全に孤立した状態で絶望的な気分になっていました。避難された住民なら絶望感はもっと大きかったでしょう。そんな中、天皇・皇后様の避難所訪問のニュースで涙が止まりませんでした。自分達は見捨てられていない、希望を持って前向きに復興へ向かっていこう、とどれだけ勇気付けられたか。
Posted by はる at July 24, 2006 12:09
Posted by ばびろん at July 24, 2006 21:14
○震災・・・いろいろありした 激安で弁当を売っていた弁当屋に長蛇の列ができて列を乱しながら取材、その後行列を尻目にすぐそばでにこやかに自前の弁当を食べていたT〇S。別の肉屋で、これまた激安でブタマン5こ百円というのを聞きつけ行列を無視の上取材をし流れを止め、キレた人(最初は自分です)に次々に文句を浴び逃げてったTV局(どこかは不明)。こんなクズどもに比べりゃ陛下の行為は全然心がこもってます。
皆さんも記憶に新しい阪神大震災が起こったのは、平成七年一月十七日早朝のことでした。亡くなった人々は六、三〇八人、怪我をした人は四万一五〇〇人にものぼりました。一瞬にして家が崩れ、炎がものすごい勢いで街を包みます。崩れた家の下敷きになった家族がまだ生きているのに助け出すこともできません。危うく逃げ出せた人も、凍てつく寒さの中に放り出されたのです。生き地獄だ、と人々は思いました。深い悲しみの中で人々は地域の小学校などで避難生活を始めました。
しかし、お腹がすいているのに食べ物は届かず、病院には怪我をした人があふれ返っています。電車やバスなどの交通は断たれ、電話も通じません。被災地の人々を助被災者を温かく励まされる天皇・皇后両陛下(神戸市)けにいくことも思う通りになりませんでした。
それでも、自衛隊や民間で援助にあたる人々のお陰で、一人、また一人と救い出されていきました。その様子をテレビで見た人々は「ああよかった。」とほっとしました。それでも、家や家族を失った人々の悲しみは深く残ります。
そのような中でのことでした。天皇陛下は皇后陛下とともに、被災地を訪問されました。そして、悲しみで沈みきった人々に、膝をついて言葉をかけられ、手を握って励まし続けられたのです。
人々からは口々に「天皇さま、皇后さま、ありがとうございます。」と感謝の声があがりました。
「子供たちも悲しい思いをしている時に、両陛下から『希望を持って生きてください』と言われうれしかった。これからの生活に励みが出てきました。」(三十代の女性教諭)
「皇后さまが手を握ってくださって、あたたかいお手やった。」(神戸市長田区の被災者)
人々は?両陛下が自分たちの悲しみをご存知でいらっしゃる?と思うと胸が熱くなりました。
また、北海道南西沖地震が奥尻島を襲ったのは、平成五年七月十二日のことでした。死者・行方不明者あわせて一九八人。特にひどかったのは、地震の後の津波による被害で、沿岸の家や人は一瞬にして飲み込まれ、暗い夜の海にさらわれてしまいました。
陛下はすぐに奥尻島の各所をまわって被災者をご慰問になり、心から励まされました。
それから五年後の平成十年三月、奥尻島では仮設住宅で暮らしていた島民すべてが、家にもどることができ、また堤防を整えるなど災害に強い町づくりを実現し、復興をなし遂げました。そして、亡くなった方々の慰霊碑も建てられました。
復興の様子をお聞きになった陛下は次の御製(天皇陛下の和歌を「御製」と言います)を詠まれました。
「五年の昔の禍を思ふとき復興の様しみてうれしき」
五年の間島民の受けたわざわい(禍)を思い、復興を祈り続けてこられたお気持ちが「しみてうれしき」(しみじみとうれしい)という言葉となってあらわれたお歌です。
このように、天皇・皇后両陛下は、喜びも悲しみも常に国民とともにされています。そのお心は、被災した人々にとって明日への希望と生きる力になっているのです。(一部略)
新潟中越地震の避難所を御訪問された際の天皇皇后両陛下の写真を拝見すると、天皇皇后両陛下が、災害に苦しむ避難民を優しく労わっている様子がよく見てとれる。この時も天皇皇后両陛下のお言葉と励ましが、被災者達の大きな力になったことは間違いない。
両陛下、ひざつき被災者の輪に
避難所を訪れ、被災した人らを励ます天皇、皇后両陛下=6日午後、新潟小千谷市の市総合体育館で
【記事本文】
体育館内で両陛下は被災者の輪にひざをつき「余震が早くなくなるといいね」「無事でよかった」と一人ひとりを励ました。滞在中に余震が2度あり、周囲がざわついたが、両陛下は驚いた様子もなく声を掛け続け、皇后さまが赤ちゃんのほおを手でさする場面も。ボランティアの若者たちには「よろしくね」と声を掛けた。
体育館玄関口で両陛下は、毛布にくるまり車いすで並んでいたお年寄りたちに歩み寄って「大丈夫ですか」と手を握った。地震で家が壊れ、市内の中学校のグラウンドでテント生活を強いられている杵渕良枝さん(70)は「ボランティアの人に連れてきてもらった。(陛下は)温かい手だった」と涙ぐんだ。
両陛下は6日夜、自衛隊機で帰京した。
ノルウェー国民の心をつかんだ天皇皇后両陛下の皇室外交
ノルウェー国民の心をつかんだ天皇皇后両陛下の皇室外交
天皇皇后両陛下は2005年5月7日~14日の日程で北欧のアイルランド、ノルウェーをご訪問されたが、その時の精力的な御公務ぶりには、両陛下よりはるかに年下である自分でさえ、本当に頭が下がってしまう思いだ。既に両陛下ともご高齢であるにも関わらず、両陛下の展開される献身的な皇室外交は特筆すべきものであると思う。ノルウェーにおいても、素晴らしい成果を挙げられたようなのでご紹介したい。

http://homepage2.nifty.com/lite/hard_column/no_nippon675.html (両陛下に拝謁した在ノルウェーの日本人の方のHPより引用)
●拝謁を賜る アイルランド公式訪問の次はノルウェー、プログラムを見ると大変過密なプログラムで立ちっぱなしの行事も多い。体調がすぐれているとはいえない両陛下がよく倒れず、しかもにこやかに全日程を終えられた。コラム第一回を美智子様からはじめたファンの小生はほっといたしました。 20年前、皇太子時代にわが町ベルゲンに来られた際は、ホテルに入られる時迎えただけでしたが、今回は11日午後、オスロで両陛下に拝謁を賜ってきました。大使公邸で在留邦人およびその配偶者27人に混じって家内と並ぶ。順列は3番め、2番めの元在東京ノルウェー大使は両陛下と握手したけれど、奥方(邦人)はお辞儀。うちは家内がお辞儀すると前もって決めていたので早いとこお辞儀してなんとなくギコチナイ。 齋賀大使がそれぞれを紹介して言葉をかわしながら一巡。そのあとは自由にみんなと気軽に話しをされる。都合40分ばかり。我々は、ま遠慮する方だから手短にすませるのですが、名札に何をする者か書いてあるので、いきおい仕事のことをたずねられ、そんなことを説明したりして、わたしとしては美智子気の好きなこの国の文学や音楽を話題にできなかったのが残念。 ムッツリしている随行団長の森喜朗元首相と二言三言、まわってきたハクセンコウの和菓子を口にいれる森さんに『先生は甘党ですか』と問えば、『疲れるんでね、甘いものがいい』。しかし両陛下の重労働にくらべると雲泥の差にみえるが、やはり気をつかうらしい。 このあと7時半から市庁舎で天皇皇后主催のレセプションが市庁舎でおこなわれ、一泊するホテルに戻って夜のレセプションのため着替える。男はブラックタイなのでタキシード、女性はドレスという300人ほどの立食パーティーです。病気の国王をのぞいてノルウェー王室メンバーほかボンネヴィク首相や外相、元首相、政府閣僚の半分くらいやTVでおなじみの文化人がわんさといました。在留邦人は40人くらいか、あとは宮内庁と自衛隊関係の随行トップたちとプレス。もっとオスロ在の日本人呼んであげればいいのに。 最後に天皇のスピーチについて。宮中晩餐会と首相昼食会はわたしらお呼びでないが、出席した名誉大使のイルゲンスさんは天皇のスピーチになんともいえない荘厳を感じたそうです。天皇の公式スピーチは日本語なので英語に翻訳されるわけですが、話し方に威厳がありさらに、宮中晩餐会では220人の参加者全員に握手して挨拶されたことに驚いていた。さもありなん。20年前皇太子として宮中晩餐会でスピーチされたときは英語でしたが、TVで放映され、はじめて聞いて驚いた。さすが威厳ありました。(一部略) |
歓迎式典はあいにくの雨となったが、この時の逸話も伝わっている。
http://ameblo.jp/kuromaryu/theme-10002300932.html よりの引用
525 名前:マンセー名無しさん[sage] 投稿日:2005/06/14(火) 05:44:16 ID:w69zXzhH
昨日の日テレ見たら皇室外交素晴らしいな。各国首脳外交では出来ない外交で日本の認知度・好感度をUPさせてる。ノルウェー国賓訪問でも嵐の中の歓迎式典での天皇陛下の心遣い、ノルウェー王女に対する美智子妃の気配り、全てノルウェー国民にきっちり紹介されて、ノルウェー国民の心をガッチりGET。首脳外交では出来ない芸当を見た。
529 名前:マンセー名無しさん[sage] 投稿日:2005/06/14(火) 06:04:54 ID:w69zXzhH
>>527
ノルウェー王室との繋がりでの国賓訪問だったのだが、ノルウェー国民は日本という国は知っていても皇室のことは詳しく知らなかった。(まぁ、当然だろう)あいにくの天候嵐の中の歓迎式典では天皇陛下は傘もささずにノルウェー軍兵士をねぎらい、ノルウェーSPが慌てて傘をさす場面や、妊娠初期段階のノルウェー王女を嵐の寒気から遠ざけようとした美智子妃の姿が全ノルウェーに報道(新聞はTOP写真)、強烈な日本ブームが巻き起こった。首脳会談では出来ないなと思った。
天皇皇后両陛下の真摯で誠実な姿勢が、結果的にノルウェー国民を心をつかんだのだろう。今まで良く知らなかった東洋の島国が、天皇皇后両陛下の御公務によって、一日にしてノルウェー国民の関心の的になったのである。まさに皇室外交ならではの出来事と言えるのかもしれない。天皇皇后両陛下の海外での御公務は、日本外交にとって、まさに外交官100人分以上の威力があるのではないだろうか。