知られざる高円宮家の真実

高円宮家とワールドメイトとの接点
ワールドメイト教祖 深見東州のHPより
http://www.toshu-fukami.com/2001/10/20011029_587.php

「日本の伝統芸術21世紀展実行委員会」副会長に就任。
名誉顧問:高円宮憲仁親王殿下
顧問:奥野誠亮衆議院議員・元文部大臣
会長:小山宙丸白鴎大学学長・前早稲田大学総長
副会長:堀江恭子美術評論家・国士舘大学講師深見東州世界芸術文化振興協会会長(NPO法人)
コンサルタント:ヘイミッシュ・トッド大英図書館ジャパンコレクション部長
邪教 ワールドメイト
菊の紋様が額に付く?
ワールドメイト 元会員のブログさんのコメント欄より
http://motokaiinn.blog37.fc2.com/blog-entry-326.html#comment
皇室の問題
天皇は、祭祀を司る頂点(大宮司)であり、宇宙の大本の神様と真の交信は、2600年間一系で続いてる天照大御神の直系である天皇にしか出来ません。
それをワールドメイトは、昭和天皇の時代に人間宣言をされた為に、皇室の神様が天界え帰り、ワールドメイト開祖の植松女氏の元に降り、ワールドメイトは皇室の代わりに珍事をしている。入会したら、会員に菊の紋様が額に付く、過去に皇族のご縁があったと、会員に教え洗脳します。
私も洗脳されたこと、恥ずかしく思います。
秋篠宮様、紀子様に悪態を吐いていたのは、私も覚えています。
皇紀2600年の歴史上に女性天皇は存在しましたが、“男系の女性天皇”であり、天照大御神の直系が途絶えたことはありません。
愛子様が天皇になると、女系天皇になり、愛子様の子孫は天照大御神の直系でなくなります。
この問題は、皇太子の時代になったら、一波乱ありそうな危機感を感じずにはおれません。
2011/05/20(金) 13:36:04 | URL | 退会者です #- [ 編集 ]
ワールドメイトの闇
参考サイト: 桃の実秀明の桃の実的ブログ
http://zenith.iza.ne.jp/blog/
ワールドメイトの資料 (ワールドメイトの実態)
http://wmdata.main.jp/index.html
○教祖の深見東州の名前が現在、主要なもので4つあり、レオナルドTOSHU、戸渡阿見、深見東州、半田晴久という名前を使い分けている(本名は半田晴久らしい)外国や国内のワールドメイト関連の活動以外で教祖はその教祖名を名乗らず、本名を使用して教祖であることを隠している。深見東州の名前で日本人信者から巻き上げた金を、本名でカンボジアなどの慈善活動に投資しているので、外国から見ると新興宗教の教祖とは分かりづらく、カンボジアで名誉領事になるなど、名士扱いされている。その一方でワールドメイトに財産を巻き上げられ、家や土地を手放した日本人信者が多数存在する(信者の総数は4万人前後と推定される)。
○新興宗教の他に出版社(たちばな出版)や芸術関係のNPO法人(世界芸術文化振興協会(IFAC))も運営しており、過去にたちばな出版から出した著書のペンネームには夏目そうしき、ピエール・ブツダン、美川憲二、フランソワーズ・ヒガン、三休禅師という名前もある。
○1995年に深見教祖は自分の前世がダビデだと告白する一方で、1997年に自分は百戦百勝の楠木正成の生まれ変わりだと豪語。更に、実は自分が35万年前の国常立大神の肉体を持った再来で、日蓮の神魂を継承しているとも主張しており、ミカエル天使の位に上がったとも言っている。自らを「三千年に一人の大神人」と称しているが、現在、贅沢のし過ぎで痛風と糖尿病を患っている。
○教祖の年収は1億円、認知症の開祖の月収は800万円。会員から集まったお金は開祖、教祖と古くからいる職員、教祖の秘密を良く知る職員で山分け。開祖も教祖も贅沢三昧、幹部は高級マンションやクルーザーボート、ゴルフなどの遊興三昧。子弟は高額授業料の私学へ進学させ、側近の一人は四千万の家をたった四年で完済。高額給与を貰っている教団職員のほとんどは会員に会う事のない立場にあり、宗教関係者と名乗らず、一般人を装っている。
○開祖と教祖の生活経費はワールドメイト払い。お金が貯まって仕方ない。高給取りの幹部がニセ神業に打ち込んでいると思ったら大間違いで、底辺の会員が参加を促されるニセ神事の最中にゴルフの打ちっぱなし、岩盤浴、と遊び呆けてるケースも珍しくない。あるニセ神事では、会員が食うや食わずで神事を行っている間、教祖は超高級のあわびステーキを堪能していた。
○予言や霊視は外れまくるし、神事と称するイベントも無意味で効果なし。ニセ神事の後に何か事件が起こると神事の効果(証というらしい)だと言って無理矢理こじつける。とにかく言い訳が得意で、予言が当たらない言い訳に、神様に予言能力を止められていると言い出す。1995年に坂本弁護士事件はオウムの仕業ではない、地下鉄サリン事件はオウムの犯行ではないと断言していた。教祖のありがたい話を記録したエンゼルビデオでは教祖がこれから日本はこうなる、支部はこれだけ増える、会員数はこれだけ増えるという話があったが全部外れているので、今はその部分はカットされている。
○ワールドメイトは会員を常に多忙にさせる事で支配している。忙しい状態ならば会員は予言がはずれたこと、証がおかしいこと、自分が開運しないことを忘れてニセ神業に突っ走ってしまう。会員は開運などなく、マインドコントロールをかけられて奴隷化状態となり、人生を破壊するだけ。熱心な会員ほど貧乏になる。元会員などがネットに不満を書いたりすると、数千万円の慰謝料を請求する裁判を起こされたりする。
ちなみに会員は次のような文言の復唱を求められる。
・ 一切の愚痴・不平不満は私ではない!全てのことに感謝するのが本来の私です!」 (10~20回以上)
・ 手抜きをして面倒くさがるのは私ではない! 一生懸命に精進努力をするのが本来の私です! (10から20回以上)
・ 私は神様のために生れ、神様とともに生き、神様のために死んでいきます。これが最高の喜びです。(10~20回以上)
○会員からの集金パターンは、危機があると発表(もちろんインチキ) → ニセ神事を行い集金する → ニセ神事催行後、これで危機は無くなった、日本は大発展するなどと教祖が言う → 会員は当然それを信じる → 適当な出来事を証に仕立てる、あるいは都合の悪いことは無視する。この繰り返しで会員を追い立て洗脳して集金する。ニセ神事の後に教祖が良い事を言っても、またすぐに集金神事のための悪い予言をする。会員一人につき、最低でも年間40万円くらい金を巻き上げる。滞納すると執拗な電話攻撃。
○会員の入会は書店のブックフェアや広告をきっかけにしたものが多い。入会後は日本を救うためだとか、使命感や愛国心に訴えかけてくるので要注意。正しい神仏が法外な金銭を人間に要求することはないし、イカサマ教祖に貢いでも自分も家族も国も救われない。
○総じて見ると教祖が良いと言うものは駄目になり、駄目と言うものは良くなる。いずれ力強い宗教家となると高く評価していた麻原彰晃はサリン事件などで逮捕され、今は死刑囚となる。会員で国会議員だった山口敏夫と藤波孝生は有罪判決を受ける。オシムは良い監督になるでしょうねと教祖が言ったら脳梗塞で倒れてしまった。絶賛していた雅子妃は親王を授からず、デマを流して中傷していた紀子妃が親王を授かり、皇室の救世主となった。ヒラリーが国務長官にならないよう昆布縛りを書けと会員に呼びかけたが逆効果となった。迷惑な話だが、安倍政権と福田政権も応援していたらしく結果はご存知の通り。麻生政権は応援していなかったらしい。
高円宮憲仁親王とワールドメイト
参考サイト
http://blog-imgs-19-origin.fc2.com/o/o/y/ooyasimaneko/20090927085845fae.txt
旧ブログより ワールドメイト
☆嫌・ワールドメイト
ワールドメイトという団体。
神道をベースにした新興宗教らしい。
規模は小さく、表立って大きな問題を起こした事はないがこの団体はかなりあやしい。この団体に所属すると霊体のおでこ?に菊のご紋が現れるらしい。神霊界の皇族?となるとのこと。(知人からの受け売り)とにかく、あやしい。
新興宗教を信じるのも所属するのも個々の自由。
その是非をここでとやかく言うつもりはない。
許せないのは、紀子様の悪口を言いふらしていること。
知人が洗脳されている。
得意げに「紀子が…」と呼び捨てにし、ののしっている目は逝っている。そしてしめくくりは雅子さまおかわいそう。最終しめくくりはF先生は明治天皇の生まれ変わり(だからF氏のいうことに間違いはないということらしい)??………
F氏は、雅子さんが流産された時に、紀子様の親族が稲荷信仰をしていて呪いをかけたと言ったという。紀子様が御懐妊された今、組織ぐるみで紀子様の悪口を言っている。
同じようなことはもっと巨大な某宗教団体でもやっている。しかももっと巧妙な手口で紀子様や秋篠宮家の悪口を広めているとの事。どう考えても、皇室という組織に順応し、祭祀を真摯にこなしているのは紀子様の方。その方がなぜ誹られなければならないのか。今の東宮夫妻はおかしな勢力に利用されやすそうな危うさがあり、その結果、皇室が破壊されるのではないかと心配。
F氏は故高円宮殿下の知り合い。
高円宮殿下は生前紀子さまの悪口を言っていた。
高円宮殿下は外務省の外郭団体勤務。
外務省と言えばあの父娘。
そっちにつながるのか。
2006-07-07
☆ワールドメイトの悪事
ワールドメイト会員の知人が以前もっていたパンフレット
それは、これ
↓ ↓ ↓
「21世紀の大救済豆木」磐梯神業案内(平成13年2月3日)
「雅子様ご懐妊青豆木」
(略)
これが、雅子様ご流産に秘められた大きな神霊的解義でありますが実はもう一つ、隠された理由があったのです。
深見先生が神様に伺ったところでは、ご流産の直接的な原因は、熱心な稲荷信者である某皇族の方の妬み嫉みの生霊と稲荷だったというのです…!
今の皇太子殿下雅子様は非常に霊覚も高く徳分もおありで、このお二人が天皇皇后として即位され日本の国の神柱となられたときが王仁三郎が預言した「21世紀、日本が世界の王となる」という時代であります。このことは、皇太子殿下ご成婚のときに深見先生が明かされたことです。その次の時代に日本の国運を担う未来の天皇も、ぜひ素晴らしい霊覚・徳分の方になっていただきたいと願う次第でありますが、そのためには、やはりお二人の間にお子様が誕生されるのが最善でありましょう。
もし万が一、雅子様がこのまま子宝に恵まれず、稲荷信仰をしている方のお子様が即位するなどの事態に陥れば 日本の国が苦難の時代を迎えるであろうことは必至です。この最悪の危機を回避するために、ぜひ雅子様の一日も早いご懐妊を願うものであります。
この怪しさ満開、不敬極まりない文章。
紀子様の悪口や根拠のないうわさ話を撒き散らしている集団は他にも○○学会があるが あちらは、皇室を破壊したいという目的が見えているがワールドメイトの目的は…一体何なのだろう。
高円宮殿下と教祖深見氏の仕事関係のつながり。
高円宮殿下は、秋篠宮家創設によって公務に呼ばれる回数が激減したので紀子様を快く思っていなかったこと。高円宮殿下は、外務省とも接点があり、雅子擁護だということ。だから紀子様の悪口を言い続けていたし、いじめてもいたとのこと。その悪口に乗ったのが、権力にすりよりたい深見氏だったのでは…という話もある。
高円宮様が若くしてお亡くなりになったのは日本を守っている神様からの罰?今現在、親王様誕生について深見氏が会員にどのように言っているのかはわからないがおそらくよい受け止め方はしていないだろうと思う。
呪詛なんかしていなければいいけど。
でも呪詛したところで効果はないという気もする。
平成13年からおかわいそうなマサコサマのために豆木とやらでお祈りしているようだが マサコさんってこの頃からおかしくなりはじめたのではないだろうか(もともとおかしいという話もあるが)
このあと愛子さんは生まれたけれど、こんなことを言ってはなんだがワールドメイトの目論見通りの子ではないだろう。
2006-09-16
雅子妃が1999年の12月に流産した原因は、雅子妃が妊娠を隠してベルギーに外遊し、ワインをがぶ飲みしたためであり、紀子様稲荷云々は、何の根拠もないデマである。
雅子妃ベルギー訪問の問題点より
ベルギー訪問前の1999年11月下旬に懐妊の兆候があったことを伝える週刊朝日の記事(クイックで拡大)

『週刊朝日』1999年12月24日号<雅子さま 幸せのご懐妊> p22-23より引用
雅子さまが体の変化に気づいたのは十一月下旬だったという。生理がなく、基礎体温が上昇していた。侍医に相談して、十二月初め、妊娠検査薬を使ったところ、陽性。一九九三年六月のご成婚から六年半、待ちに待った朗報だった。ところが十二月三日からはベルギー皇太子の結婚式に皇太子とともに出席することになっていた。「体のことだけを考えると、キャンセルしたほうがよかったかもしれない。でもドタキャンすればマスコミに『ご懐妊では?』とまた詮索されることになるし、日本の皇室にとってベルギー王室は特別な存在なので、出席したかったようです」(皇室に詳しいジャーナリスト)
ベルギー王室と日本の皇室は古くから深いつながりがある。昭和天皇の「大喪の礼」のとき、ベルギー国王が真っ先に参列を表明し、それが呼び水となって五十ヵ国以上の元首が参列するという豪華な顔ぶれにつながった。特に皇太子とルギーのフィリップ皇太子は同じ年の気の合う友人で、互いに両国を訪問し合い、独身時代から、「どっちが先に結婚しても、式には招待しよう」と約束し合った仲だった。その約束の式典だけに、できれば夫妻そろって出席したかったというのだ。
宮内庁幹部は、皇太子夫妻の意向も踏まえて、雅子さまのベルギー訪問にゴーサインを出した。ただ、万一を考えて侍医を随行させた。短期の海外訪問で、通常は侍医が同行することはない。外務省にも「ご懐妊」は知らせなかったため、「なんで侍医がついていくんだろう」と噂になったという。
皇太子夫妻は特別機でベルギーに着いたが、天候はあいにくの暴風雨。「フィリップ皇太子と婚約者のマチルドさんがびしょぬれになってタラップの前で出迎えました。雅子さまは青いコート姿でしたが、いま考えると、転んだりしなくてよかった」(在ベルギーの女性ジャーナリスト)
皇太子夫妻は、ベルギーで散歩予定を取りやめたことはあったが、十二月四日にフィリップ皇太子とマチルドさんの結婚式に出席したほか、ベルギー国王に招かれて城を訪ねたりと、精力的に動いた。急な「ご懐妊」判明で間に合わなかっためか、雅子さまは結婚式では、青のスーツに合わせた、高さ六センチほどの青いハイヒールを履いていた。滞在中は兵藤長雄大使の公邸に泊まったが、兵藤大使はこう驚く。
「ワインも普通に飲まれていたし、まったくそんなそぶりはなかった。いま考えれば、侍医がついてきていたのはそういうことだったんですね」

1999/12/3-7の皇太子夫妻のベルギー訪問では、公式行事以外にも往復数時間かけてのグルメレストラン巡りなども行われ、酒を片手に談笑する雅子妃の写真が現地のレストランに残っている。もちろん妊婦にアルコールはご法度だ。
で、1999年12月30日、再検査の結果、稽留流産と診断される(宮内庁発表)
高円宮憲仁親王と久子妃

1984年4月23日 カナダ大使館のレセプションパーティーでカナダに留学経験のある憲仁親王と鳥取久子嬢が出逢う。同年5月6日 三笠宮殿下が鳥取久子嬢に「うちの憲仁をどう思うか?」とご質問、既に鳥取久子嬢の経歴と家系を調査済みでお妃候補に入っていたようだ。5月20日 憲仁親王が英語でプロポーズ「Will you marry me?」「Yes」。久子嬢の父は鳥取滋治郎(当時は東邦物産専務)、母二三子さんの祖母君・曾我晃子さんは元貴族議員・曾我祐邦子爵夫人、晃子さんの父君は鷹司熙通公爵。結婚後に高円宮家が創設された。
三笠宮崇仁親王が総裁を務めた第31回国際アジア・北アフリカ人文科学会議で、三笠宮の通訳・助手を務めたことがあり、そこから白羽の矢が立った模様。結婚前、旧姓の「鳥取」と「久子」のバランスが悪いため、仕事の際は「恒久子」という名前の名刺を使っていた。恒という文字が雅子妃の実父の小和田恒の名前と関係があるのかどうかは不明だが、久子妃は雅子妃の実母、小和田優美子とは旧知の間柄。当然、皇太子の結婚前から小和田家とも面識や交流があったと推測される。
憲仁親王は、1978年に学習院大学法学部卒業後、同年から1981年までカナダのクイーンズ大学に留学。帰国後は外務省の外郭団体である国際交流基金(現在は独立行政法人)で嘱託として働いていた。国際交流基金は完全に外務省のテリトリーであり、高円宮は国際交流基金を通じて外務省とつながっていた。当時、外務省の高官だった小和田恒にとっては、まさしく娘を皇太子妃として送り込むための千載一遇の好機が揃っていたわけである。
雅子妃入内の手引きをした高円宮憲仁親王
『美智子さまから雅子さまへ プリンセスへの道』河原敏明、ネスコ(1993年) p65-66より引用
入省して三週間目の四月二十五日に、雅子さまは高円宮邸に一人招かれる。高円宮ご夫妻と浩宮、雅子さまの四人だけだった。英国人カップルも招かれていたが、「都合で欠席」とされた。お二人は、高円宮夫妻とともに会食した。浩宮は、同年三月に訪問したネパール、ブータン、インドのアルバムを用意していた。写真は浩宮がご自分で撮ったものである。
・・中略・・
話ははずみ、たった四人のホームパーティは、数時間にもおよんだ。雅子さまがその日帰宅したのは、夜遅くなってからだった。
『サンデー毎日』1993/1/24号<愛を“予言”し、初めての出会いをセット・高円宮憲仁親王殿下> p25-26より引用

キューピッド説の根拠は、皇太子さまがネパールなど三ヶ国旅行から帰国後の一九八七年四月二十五日、高円宮ご夫妻がお二人を自邸に招き、ホームパーティーを開いたことにある。高円宮さまは、「殿下にご旅行の話を聞こうとお招きし、小和田さんは有望な女性外交官でもあり(注:まさにこの年、全く同じ月の1日付で小和田雅子が外務省に入省したばかりである)、話題も合うと思って、一度ご一緒の機会を作りました」と明かされる。が、宮家関係者によると、ご夫妻が雅子さんを宮邸に招き、そこへ皇太子さまが訪問されるという形をとったが、実際は皇太子さまが一足早く着き、雅子さんを出迎えられ、雅子さんは驚いた様子だったという。
四人は夕食をともにし、食後、皇太子さまは数日前から用意、宮邸に持参された三ヶ国旅行や留学時のアルバムを見せて、思い出などを語られた。その際、皇太子さまは主に高円宮さまと話されたため、宮妃の久子さまが雅子さんの相手を務める形になったが、雅子さんが自分の将来や外交官としての抱負をハキハキと答えるのを見て、英国留学で現地の学生が自分の意見をはっきり主張している点に感銘を受けていた皇太子さまが、雅子さんに強い印象を持たれたという。
「実は久子さまが雅子さんの母親と旧知の間柄で、娘が女性外交官を目指しているのを知り、一度ぜひ、皇太子さまに紹介したいと思われていたようです」(宮家関係者)この日は話がはずみ、雅子さんが帰宅したのは午前一時を過ぎていたともいう。
だが、高円宮さまとお二人の関係は、実はもっと古くからだったのである。「お二人の出会いは八六年十月、東宮御所で開かれたスペインのエレナ王女歓迎パーティーですが、当時、東大の学生だった雅子さんを招いたのは、実は高円宮さまだったのです」 こう明かすのはある皇室関係者。
・・中略・・
高円宮さま自身、「小和田さんほど皇太子妃にピッタリの素敵な女性はいないんじゃないか」と度々、漏らされている。
雅子妃入内には、高円宮だけでなく、小和田、外務省(創価学会)、マスコミによる執拗な工作も行われた。
参考サイト
ドス子の事件簿 マコオタ画像集(雅子関係)1
ドス子の事件簿 マコオタ画像集(雅子関係)2

1992年8月16日には、皇太子と小和田雅子の5年ぶりの再会デートが、柳谷謙介・元外務次官宅で突然セッティングされるという奇妙な事態も起きる。雅子妃との結婚を反対していた昭和帝の崩御を待っていたかのようなタイミングだった。何かが動いていた。
小和田、高円宮、外務省、創価学会
参考サイト
http://kabanehosi.up.seesaa.net/image/takamado.txt
ある皇室記者
昭和帝の御意志や雅子妃の背後の事情を無視し、皇太子殿下と雅子妃の仲を、自宅を提供してまで取り持った高円宮殿下(故人)と、佳子さまをご出産された後の秋篠宮紀子妃殿下に、出産を控えるように圧力を掛けたとされる久子妃に対して、自分は全く敬意を払っていないし、好意的な考えも持っていない。
秋篠様を貶める記事に苦情を言っても「しかるべき筋からの話だから」と出版社が取り合わなかったそうだ。しかるべき筋=高円宮だと考えられる、とのこと
高円宮様は、秋篠宮様ご成婚時、自分たちがいるから彼らに公務の依頼は殆どないのじゃないか?と発言
秋篠宮様に仕事を獲られるのが怖くてあらぬ噂を流していたとも言われている。
新しく皇族に入った人に対する言葉ではない、一緒に皇室を支えて行こうというのではなくて「オレ様より目立つな、青年皇族はオレ様」的発言という解釈をした人も中にはいた。
(新聞記者証言)
秋篠宮ご一家の創作悪口を内外に言いふらし、媒体で嫌味な発言連発したのは高円様。高円宮様が皇太子を取り込んでから皇太子と秋篠宮家は疎遠になった。なにより、雅子さま入内を推していたのは高円宮様。高円宮様が亡くなって皇太子夫妻がおかしいのが表面化したのを考えると、彼が皇太子サイドで相当動いていたんだろうと想像出来る。
皇室関係者
紀子様の都市伝説関係が浮上したのは雅子さんが結婚する1,2年前 流していたのは創価、外務省、高円宮さま
雅子さんの不出来を薄めるため、あるいは紀子様になすりつけるという目的があったといわれている。その後渋谷氏(のちに雅子妃の妹節子さんと結婚)を通じて医療関係者に噂を広げた。各地で医学部教授等が偽の噂を得意気に吹聴する姿が目撃されている。
故人と交流のあった人間
高円宮様は一見気さくそうに見えて 実は最も階級意識の強い人だったらしい。紀子様のご実家をバカにしきっていた。高円宮様は皇太子には媚びて 秋篠宮様のことは悪口言いまくっていた。
M氏
高円宮様はもともと外務省と関係の深い人。宮家といえど台所事情は楽じゃなかったから仕事もしていた。だから恒が取り込みやすかった。しょせん世間知らずの宮様なんて、海千山千にかかったらちょろいもの。
K氏
小和田恒氏と鳥取久子さん(高円宮久子)の噂は?高円宮様は国民と皇室の架け橋などと言っていたけど、基金集めでは色々黒い噂もあった。高円宮様がお亡くなりになってからは秋篠夫妻の誹謗中傷が止んだ。
H氏
あのお方が皇太子を応援していたのは「皇太子」だからでしょう。雅子さんとあのお方で秋篠夫妻の文句でも言っていたことも。
ある記者
承子さんの成人コメントでも紀子妃懐妊については無視だった。高円宮様が紀子様を貶める発言を広めていた。あることないことまで噂を言いふらしていた。高円宮様がお亡くなりになってから、あきらかに流れが変わった。(小和田家親族や学会がらみの擁護派からの古い捏造話の蒸し返し以外はなくなった)秋篠宮様ご成婚時の、特別報道番組内で「秋篠宮ご夫妻が担われるお仕事は、殆どないだろうと発言。…テープカットとか、シャンパン片手に乾杯とか、その手の公務そういう、華やかな場面の公務は自分達が請け負っているから、秋篠宮ご夫妻には、殆ど回らないと。蓋を開けたら、秋篠宮ご夫妻は大忙し→気に食わないという流れがあったことは確かです。
他
小和田雅子さんが皇太子妃候補として名前が出てくるきっかけを作ったのは、高円宮様。未来の天皇の皇太子夫妻にはおべっかつかって持ち上げていた。必要以上に庶民派ぶっていたが実はプライドは高く腹黒い面もあった。皇太子と雅子を結びつけたのは高円宮。それに優美子さんと久子様は知り合い。高円宮様亡きあと、久子様があの2人の相談相手に引き続きなっていても良いだろうに、全然でてこない。
森下洋子と高円宮様の対談番組を見たことがあるけど、なんというか、相手に対する物言いが、高飛車で傲慢。どことなく意地悪さを含んだ感じだった。高円宮様は、「皇居、赤坂御所には農薬や除草剤のせいで虫一匹いない」などと平然と嘘をつく人。高円宮様は、頭の構造がちょっとおかしい人みたいだが雅子さんのことは自分サイドの人間だと思っていた。外国通で、賢いデキル女だと。これを皇太子殿下にくっつけておけば、皇太子は安泰。雅子さんと同じサイドにいる自分も安泰。という発想。
率直に言うと秋篠宮殿下はたいした事ない男だと見くびっていた
成人していざ蓋を開けてみたら良い妻を娶り、祭祀も公務も研究にも熱心で両陛下の信頼もあつく、男性皇族として申し分ないお方になった。これらは両陛下をはじめ良識派の皇室の方々にとっては大変喜ばしく、一方で勝ち馬に乗った筈の人間にとっては大誤算で痛恨の出来事だった。

皇太子夫妻の結婚式当日、微妙な表情の各皇族方と一人得意げな高円宮。その視線の先は・・・
謎に満ちた高円宮憲仁親王の突然死
2002年5月末に夫妻で韓国を公式訪問し、日韓W杯の開会式に出席した。日本の皇族の韓国への公式訪問は戦後初だったが、同年11月21日、カナダ大使館にてスカッシュの練習を行っていた最中に心室細動による心不全で倒れた。
直ちに慶應義塾大学病院に搬送されるも、すでに心肺停止の状態だった。蘇生措置がとられ一時は心拍が確認されるも、夜半になって容態が悪化。久子妃の同意を得て人工心肺装置を取り外したところ、生命反応がなく死亡が確認された。 享年47歳。
あの国のあの法則なのか、事故なのか、天罰なのか、今となっては分からないが、皇族としてはあまりにも早すぎる死であった。
参考記事
徳仁皇太子夫妻の結婚パレードで振られる創価学会三色旗の怪
反日勢力・反日マスコミの最終目標は万世一系の皇統の断絶
万世一系の断絶を目論む小林よしのりと沈みゆくSAPIO(サピオ)
天皇家と日本の復活
愛子内親王ご優秀伝説の破綻
雅子妃と小和田家の闇
(コメント)
今回の記事を書いて、自分の中では雅子妃入内の陰謀の解明については一段落付いたように感じている。外務省の中には、大鳳会という400人以上の創価閥があり、外務省=大鳳会という場合も少なくない。故・高円宮憲仁親王はその外務省と外郭団体を通じてつながっており、皇室の内部から様々な工作を行っていたようである。久子妃は小和田家とつながっており、高円宮家は雅子妃入内のために働いてもらうには打って付けの皇族だったのだろうと思う。
高円宮憲仁親王(以下高円宮)の逆恨みと利害の一致による協力も加わり、マスコミ、外務省(創価学会)、小和田家の工作と併せて、昭和帝の崩御後、雅子妃の入内がまんまと成功したのだろうと推測している。生前の高円宮の暗躍ぶりには興味があるが、やったことが裏目に出てしまい、本人も早逝し、事ここに到っては悪名を残すばかりである。スポーツ振興に貢献した宮様として、ウィキペディアなどでは持ち上げられているが、少なくともこのブログで褒め称えることはまずないだろう。皇室に対する功罪を相殺すれば、あきらかに罪の方が多いように感じられるからである。
高円宮家について調べるうちに、ワールドメイトというゴミ宗教の実態を明らかに出来たのは収穫だったが、秋篠宮家に対してかくもひどい誹謗中傷を行わなければ、ブログの記事で取り上げることはなかったかもしれない。神道の真似事をして信者を食い物にしてる教団だが、教祖や幹部はどう見ても詐欺師にしか見えない。しかし、こういうのは騙される方にも問題があり、著作にしろ講演にしろ、悪意で人を騙したり洗脳したりするのに、天才的な才能を持つ人間が世の中には存在するということを認めなければいけない。信者が破滅するまで食い物にする悪質な新興宗教は、皆、この手の人間が教祖なのである。騙されてしまったと思ったら、高い月謝を払ったと思って早目に足を洗うのが良策だろう。
ワールドメイトの教祖と幹部は非常に良く宗教ビジネスを研究しており、信者を生かさず殺さず絞り上げる心理的なテクニックに精通しているように感じられた。額に菊の御紋が付くとは呆れた言い草だが、教祖の額にはサインペンで“悪”が“肉”とでも書いておいた方がよっぽどお似合いだろうと思う。
前回の「雅子妃と小和田家の闇」、前々回の「愛子内親王ご優秀伝説の破綻」などでは、コメント欄にブログ主の姿勢云々、上から目線過ぎる云々など、因縁としか思えないような書き込みが見られたが、皇統の存続という観点から見れば目クソ鼻クソのようなコメントであり、正直言って片腹痛いと言わざるを得ない。秋篠宮家を守って皇統を守るのか、東宮を守って皇統どころか国体まで潰すのか、100年後、200年後の日本の未来を考えれば議論の余地もない。また我々の子孫から、どちらの行動の方が感謝されるのか、火を見るより明らかだろう。
高円宮家の長女である承子女王は、成人を迎えた際の記者会見で、紀子さま御懐妊と紀宮様のご結婚について感想を求められて華麗に無視したが、家で秋篠宮家の根も葉もない悪口を吹き込まれていたので答える気にならなかったのだろう。要領の良い人間なら、もう少し思慮深い行動をすると思うが、ブログ騒動の件を見ても分かるように、母君の薫陶が良く行き届いていると言うべきだろうか。

雅子妃と小和田家の闇

雅子妃のルーツ

1993年7月8日 東京サミット晩餐会にて、「ロシア語が堪能」との触れ込みによりエリツィン大統領の隣席に座らされたものの、話が弾むクリントン大統領と紀子妃をなぜか凝視する雅子妃。
参考サイト
http://kabanehosi.up.seesaa.net/image/syutuji.htm
小和田雅子さん(皇太子妃)の出自について
出自は本人の意思や責任とは関係ない。皇太子妃としての責務を果たし、その人柄が国民から敬愛され、すばらしい人…すばらしくなくても普通に真面目に生きている人であれば、今更血筋がどうのなどとは言われなかったのかもしれない。
今の世で出自云々を問うこと自体、おかしいのかもしれない。実際、言ってはいけないこととされている。だが、ろくに公務も祭祀もせず、自分勝手な振る舞いをしていれば、やっぱりお育ちが…と言われるのも仕方がない。
しかも、一部では雅子さんの後ろ暗い部分を紀子様にすり替えて噂を流し貶めている。きちんとした家系図が存在する紀子様の出自に関する嘘の噂を嬉々として流している。
医学博士のH・S氏は公の場でこう言った「おい、同和が親王を生んだぞ!」H氏はワールドメイトという団体に在籍している。ワールドメイトは創価学会とともに雅子さんを擁護し、それ以外の皇族方を誹謗中傷している。最終的には皇室の消滅→新しい世(教祖の自分が王となる)を目論んでいるのだろう。
内側から次々と皇室を破壊してくれる雅子さんは皇室を否定する人々にとって重宝な存在だと思われる。紀子様の名誉を守るためにも、皇室のためにも、日本のためにも雅子さんの出自をはっきりとさせるべきだと思う。「富田メモ」で、「真偽を確認する為に全文公開せよ」との声に「皇太子妃の入室について書かれている部分があるから公開出来ない」という回答
反対の理由は、チッソ(雅子さん祖父)、男性関係の他に血筋も関係しているのでは、と言われている当時のお妃候補の中で家系図の無い家は小和田家のみ。宮内庁は皇太子の結婚にあたって小和田家の家系を公表し興信所に身元調査を依頼した。そのとき、部落開放同盟は差別であるという申し入れを行っていた(ニュースにもなった)そのため、身元調査は打ち切りになった。
わざわざ部落開放同盟が抗議。
雅子妃の家系調査への抗議を認めた団体のサイト

雅子妃の家系調査への抗議を認めた記事

『部落解放』1993年6月号「皇太子妃決定に関わる身元調査等の差別助長行為にたいする抗議と申し入れ」の記事(クリックで拡大)

小和田家
一代目 小和田金吉(生年月日、生地、両親不詳)
二代目 小和田毅夫
三代目 小和田恒
金吉の前は不明
金吉の父は道蔵匡利のはずだが、雅子さんの曽祖父金吉が道蔵匡利とはつながらない。宮内庁が公表した家系図は、金吉で終わっていて匡利の名前はない。この事実だけで、金吉は匡利の子供とは断定できない。あるいは金吉の両親(もしくは父)は不明か、表に出せないということがわかる。
地方では割合先祖のことを調べることは容易である。新潟で3代前までしかわからないということは非常に不自然。雅子さんの皇室入りが決まったとき3代前の小和田金吉の父親がわからなくて宮内庁が困り、小和田家が無理矢理でっちあげた家系図の元になったのが同じ地域出身の小和田本家の家系図。
小和田本家では雅子さんの曽祖父金吉のことを「知らない」と言っている。匡利の次男に、確かに金吉(A)なる人物はいる。その本物の金吉(A)と、雅子の曽祖父の金吉(B)が同一人物なのかは不明。
お妃内定のときも結婚の時も本家筋の方は誰一人出てこなかった。本籍地の村上市から新潟へお墓を移すときも金吉しか動かしていない。村上市ですら、よくわからないと言っている。「小和田新六から曽祖父金吉までは不明の点が多く、調査が待たれる」
村上市の西真寺と新潟市の泉性寺の言うことにも食い違いがある
1 村上市西真寺住職、本荘長弘師の証言(現在は兵五郎夫妻と道蔵(匡利)の妻とその子供だけの墓がある寺)
「小和田家の墓について毅夫氏(明治31年生まれ)が新潟市の学校に在勤中、父金吉の墓のみを新潟市の泉性寺に移した」
「なぜ祖父の妻と子及び曽祖父夫妻の墓を残していったのか。普通移すときはそっくりもっていくものなんですがねえ」
昭和61年(1986年or1987年)11月 恒、毅夫の両夫妻が村上に来たがここに墓参していない
2 新潟市泉性寺住職、広沢誠師の証言
「小和田家の墓は明治7年よりうちにあるが金吉と兵五郎の墓はない 匡利(道蔵)の墓だけがあります…30年くらい前に毅夫さんが父金吉の墓をうちに移したということはまったく知りません」
泉性寺の檀家談
お墓は奥の方に非常にみすぼらしいのが建っていました。それが、皇太子のところに嫁ぐのが決まったら、場所もいいところに移動して、大変立派なのが俄かに 建てられました。
3 ご成婚前の小和田家の墓参り
両親と娘が拝んだ墓は新潟市泉性寺にある「匡利(道蔵)の墓」であり「小和田家の墓」ではない(昭和55年(1980)に小和田毅夫(恒の父)がこの泉性寺にある墓の台座だけを新調した結果異様なツギハギの墓)
4 金吉と妻竹野(旧姓熊倉)は毅夫の幼い頃別居し金吉死亡後、竹野のお墓は所在不明
5 専門家の意見
「一説に小和田金吉は小和田道蔵匡利の三男と伝えるも年代齟齬して審かならず、仮に小和田兵五郎の三男の系に継ぐ。おそらくは別流ならん歟」金吉が匡利の子なら匡利12~13歳の時に生まれた三男となり有り得ない 一言でいえば「この小和田家ではない」と言っている
6 新潟県村上市小和田本家の証言
TVでのインタビューにて老当主が「あちらの小和田家とウチが親戚とは初耳 こちらでもいろいろ調べてみたがわからない」と答えた
以上より
・ 「金吉の墓」または「小和田家の墓」の所在地が不明なのはなぜ?(再婚してない場合毅夫母の竹野の墓の所在も不明)
・ 毅夫は西真寺から泉性寺に父金吉の墓を移すと寺に言いながら泉性寺にお墓を作っていないのはなぜ?
・ 泉性寺の小和田家の墓が「金吉の墓」又は「小和田家の墓」ではなく「匡利(道蔵)の墓」なのはなぜ?
・ 仮に金吉が小和田兵五郎の三男なら西真寺に兵五郎の墓を残したままで恒、毅夫が当地に来ても墓参りしないのはなぜ?
・ 毅夫氏自身はどの小和田のお墓に入ったのだろうか?
江戸時代、犯罪者予備軍の無宿者は新潟の佐渡ヶ島の金山に送り人足として使役、明治維新で解放されたこの人らの戸籍や墓は?(ご先祖流れ者説)
戸籍を誰かから入手した?戸籍売買?(ご先祖は日本人ではない説)
金吉は認知されていない子だった?(私生児説)→母方から先祖はたどれるはず
同じ姓の墓をどこからか入手した?(捨て墓置き場から…説)(墓が個人名でツギハギな点と欠けている点がポイント)
先祖の墓参りをしない家なら先祖を敬うしつけや教育を受けていないので祭祀を無意味としか思えない雅子妃の態度にも合点がいく
▼小和田金吉
・人物像は不明、名前の読みも不明(きんきち?かねきち?かねよし?すら不明)
・どの読みでも「下級武士」の出とは考えられない。(小和田家主張=武士)
・墓がない(それほど昔の人ではない。恒氏の祖父である)曽祖父の墓はあるのに?
▼つぎはぎの墓
墓石つぎはぎの理由→昭和55年(1980)に小和田毅夫氏(=小和田恒の父)がこの泉性寺にある墓の台座だけを新調
墓石には「小和田匡利墓」とある(個人名)→小和田家、ではない。
墓石側面には「明治七甲戌年 七月二十八日 永代経金一圓」
小和田匡利→新潟県村上市の小和田本家「分からない」回答

金吉の墓はどこの寺にあるのかわかっていない。村上市の西真寺には小和田金吉の墓はない。
移したはずの泉性寺にも小和田金吉の墓はない。あるのは匡利の墓のみ)
皇室入りのため、急遽作られた家系図によると金吉は道蔵の次男(1867頃出生)
そうなると道蔵が14歳のときの子ということになる。しかも三男。14歳でもう2人(以上)の子??
明治時代に生きていた金吉以前の戸籍が存在しないというのは不可解。
私生児もしくは捨子とも考えられるが戸籍が存在しない出自とも考えられる。
部落民と言う話もあるし、犯罪者、あるいは半島から新潟へ流れ着いて戸籍を買った、または奪ってなりすましたという話も出てくる。
(成りすまし…元々戸籍を持たない人が、小和田家の金吉と言う人になりすましたということ)
だから現実として年齢が合わないなどのボロが出る。
後継ぎが居なかった小和田金吉の家系を利用してなりすます、このやり方で日本人になりすます朝鮮人は大勢居る。小和田金吉は村上の小和田家とはなんの関係もない。村上の士族小和田家が村上をはなれて戊辰戦争に負けてちりぢりになったのは明治の初年。士族小和田家は明治初年以前も調べがつく
問題は小和田金吉が1867~1868年頃朝鮮で生れ、新潟に密航して住み着いたのは明治以後。
だから宮内庁は小和田家が1868年以前は何をやっていた人なのかわからないといったのは事実隠蔽のためで本当に士族なら村上を調べたらわかるのである。佐藤朝泰の「閨閥」という本に小和田金吉の代からしか載っていない。(川嶋家は高祖父の代までのっている)
朝鮮から密航してきたX=金吉。明治17年の村上鮭産育養所の漁業権者名簿(736戸)に金吉氏の名前が初出となる。もちろんこの金吉は小和田道蔵の息子で雅子の曽祖父の金吉とは別人。
X=金吉は新潟の吏員になるために(戸籍のない密航者だから)村上士族小和田匡利の息子金吉から家系図を購入し、士族に成りすまして朝鮮参加の男が小和田金吉に成りすました。その証拠に小和田家の世代の年齢があわない
婚約時代の墓前報告の写真によると、にわか作りの墓石の土台の上に苔むした古くて小さな墓石がちょこんと乗っかっている。先祖の供養もしていないことがありありとわかる写真だった。
母方江頭
江頭という苗字だけでピンとくる人はいるかもしれない。
エガシラ→エタガシラ ※全ての江頭さんがそうだというわけではない。
江頭家は村上水軍につながる(と成婚時に発表)ので、さらに部落民に遡る可能性は高い
以前、雅子さんの母優美子さんのいとこで作家の江藤淳(本名江頭淳夫)が自分のルーツ探しに九州へ行った。
そこで知った現実に相当のショックを受けたという。
そこそこの家なら、わざわざルーツを探さなくても先祖のことなら代々受け継がれて聞いているはず。
なおタレントの江頭2:50も親戚(2:50の方が本家筋)
優美子さん父は豊(チッソ)、豊の父は安太郎。この安太郎が母親から青山の墓地に埋葬しています。
それ以前の墓地は不明とあります。(結婚記念誌に記載)
江頭家の出身は九州ですが、不思議に父親のお骨は東京へは引き取っていないのです。
彼は九州の自分の出自を恥じてひた隠しにしていた。
また安太郎の妻米子が古賀家から嫁いで居ますが、この古賀家も佐賀の阿弥陀寺にながい間無縁仏として放置されていた。
近年になってそれらの無縁仏を一箇所に集めて合祀されている。
雅子さん祖父・嘉蔵は明治維新までは鍋島家の家臣だったとされるが明治初年の佐賀藩侍着到(出勤簿)にその名はない。
番太部落出身で「いわれなき差別を受け」、小学校の小使いの職にしか就けなかった江頭嘉蔵。
息子の安太郎は、その出自を生涯ひた隠しに隠し、佐賀には一度も帰ることはなかった。
江藤淳は今上陛下を雑誌で批判(1999年7月21日自殺)
「何もひざまずく必要はない。被災者と同じ目線である必要もない…」
その叔父も自殺。遠縁の江頭2:50も精神を一時患った。
正田家は数百年遡れる名家、公家の血筋も入っている。
川嶋家も会津藩士(藩士録にちゃんと載ってる家)&紀州の名士
小和田は不明
海外誌
日本では今日、江戸の最下層民と皇室が縁組をするという異常事態、
しかもその最下層令嬢が、実家の親とつるんで皇室を我が物にしようとする異常事態。
許しがたいのは、その下賤な血のなせる業か、マスコミを使って皇室を攻撃する。国民を騙す。
1993年街道の集会で沖浦和光が「小和田雅子さんの先祖は部落民」だと発言。その後、なぜか川嶋家同和説が広まった(何者かによって意図的に広められた)川嶋辰彦氏は同和問題の研究もしていたので、いかにも信憑性をもって悪意のある噂が広められた。
そもそもは家柄ではなく、雅子さん本人と実家の行状が問題。雅子さんの先祖がたとえ部落出身でも、3代前から不明でも、公害企業の社長でも、父親が機密費横領でも雅子さん本人がきちんとしていれば、両親、先祖のことであれこれ言われることはなかったはず。
生まれが卑しい…という言い方をするべきではないが他の皇族方の出自を捏造して貶めるのだから(このやり方、どこかの国に似ている)事実をはっきりさせたくなる。
家系を乗っ取るということをなんとも思わない一族。だから皇統も乗っ取ろうとした。女系、雑系にして、小和田墓のように、ツギハギにしようとした。恐ろしい。
どんなに卑しい素性でも、とりあえず皇太子妃として入内を許されたのだから、身内も身を慎み、本人も謙虚な気持ちでまわりに教えを請うていればここまでいろいろ暴かれることもなかった。あの一族全員がやることなすこと下品。
出自なんて、本人の努力でなんら関係ないという見方もあるが、出自が悪いと育ちも悪いというのは否定できない。
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安達峰一郎はあまり一般には知られていないが、明治から昭和にかけて法学や外交の分野で活躍した戦前の偉人である。ハーグ対独賠償会議の際の日本代表を努めたが、この会議でフランスとイギリスが激しく対立したとき、調停の依頼を受けた安達は、日本流の茶会を開いて両国代表を招き和解させ会議を成功に導いた逸話がある。アジア系として初の常設国際司法裁判所の裁判官、所長を努めた。生家のある山形県東村山郡山辺町には記念館が建てられている。

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上の画像は、某ブログに掲載された、現在、小和田恒氏が使用している国際司法裁判所の所長の椅子だが、その背もたれに菊の御紋(十六八重表菊)らしき紋章が使用されている。国際司法裁判所の判事の椅子には判事の出身国の国章がつけられているが、こういう場合に用いられる日本の国章は、通例上、首相や政府が主に使っている五七桐花紋が用いられるのが一般的。

五七桐花紋
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Webサイト上で紹介されていた際の画像のファイル名は“KoreanPrincessBaby.jpg”となっていた。
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詳細は下記URLを参照
http://koramu2.blog59.fc2.com/blog-entry-300.html
参考動画(ニコニコ動画)
侵略される皇室
皇太子夫妻と皇室の危機
総統閣下が雅子妃にお怒りのようです
続 総統閣下が雅子妃にお怒りのようです
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参考記事
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(コメント)
今回紹介した記事は、雅子妃の実家のルーツに関しては、恐らく決定版に近いのではないかと思う。雅子妃が皇室内で模範的な行動を保ち、国民や国のために尽くしていたなら、こういう記事は公開しなかっただろう。また、創価学会や統一教会のような雅子妃を支援する反日朝鮮勢力が、秋篠宮家の方々を侮辱する悪質な捏造でっち上げを流布しなければ、こういう記事を書く気は起きなかったかもしれない。
反日朝鮮勢力と連動して、秋篠宮家を誹謗中傷するワールドメイトは神道系の新興宗教で、高円宮家と接点があり、2002年に夭折した高円宮憲仁親王は、皇室内部から雅子妃入内を手引きしたことで知られている。高円宮久子妃は雅子妃の実母とは旧知の間柄。ワールドメイトの教祖はメールマガジンなどで、過去に雅子妃や愛子内親王を気持ち悪いくらいに褒めちぎっている。御神業と称して、全国各地で祝詞を唱えたりしているのはワールドメイトの信者が多いと言われているが、馬鹿がどこで何を唱えても何の効果もないので、神道系という理由だけで騙されたりしないようにしていただきたいと思う。
前回の記事「愛子内親王のご優秀伝説の破綻」で、コメント欄に祖父が生きていたら、不敬罪だと言って怒っただろうという旨の書き込みがあったが、本当にその祖父が実在していて今も生存していたなら、今回の記事を読んで泡を吹いて卒倒しているかもしれない。マスコミが反日朝鮮勢力の支配下にあり、ブログで書かなければどこも書くところがないような状況だが、保守系の政治ブログで東宮批判を行うブログは残念ながら非常に少ない。菊のタブーに遠慮しているのかもしれないが、反日朝鮮勢力の手先である雅子妃が入内した以上、菊のタブーを気にしてやりたい放題やらせていたら、皇室そのものが滅んでしまうだろう。
佳子様ご懐妊発表の翌日に、涙目で公務に出てきた雅子妃の写真から、「雅子さま、おかわいそう」というトンでもないマスコミ報道が始まり、雅子妃と反日マスコミのコラボによる秋篠宮家バッシングが始まった。悠仁親王殿下のご誕生までの10年以上、それまで順調にご懐妊していた秋篠宮家の懐妊がピタリと止まり、徳仁皇太子夫妻がわが世の春を謳歌することになった。万世一系の皇統の危機というのは、人為的に引き起こされたものであり、雅子妃が皇太子妃でなければ、こういった事態は起こらなかった可能性が強い。
内心はどうあれ、表面的にさえ皇室全体の慶事を祝うことも、義妹の懐妊を祝うことも出来ず、皇統の危機も秋篠宮家に跡取りが必要なことも理解しない馬鹿女を形容する言葉を自分は知らない。一般庶民の家庭でも、弟夫婦のおめでたを台無しにするようなキチガイ嫁は御免蒙りたいだろう。少なくとも、夫婦仲が良く、健康だった秋篠宮両殿下が、一人の女の狂態によって、子供を作る権利を10年以上奪われ、徳仁皇太子夫妻は弟夫婦に無用の犠牲を強いてそれを良しとしていたことは確かである。
マスコミが「皇位継承の危機」について報道する度に、「お前らが一体どの口でそれを言うのか」という思いを強くする。皇太子妃が雅子妃ではなく、ごく一般的な価値観を持つ良心的な女性だったならば、最低でも二人の親王が秋篠宮家に誕生し、皇統の危機自体が発生しなかったように思われる。こんなことで「雅子さまおかわいそう」という道理が通るなら、津波で家や家族を失った被災者は一体何と形容すべきだろうか。
マスコミを使って皇族を攻撃する小和田一族のいやらしい手法は、ネットの普及によって通じなくなりつつあるが、まだまだ皇統の乗っ取りを諦めたわけではないだろう。東宮一家が健在な限り潜在的な皇統の危機は続くのであり、小和田家の国盗物語まだ始まったばかりなのである。
※1994年5月12日 紀子妃殿下第二子ご懐妊発表の翌日に涙目で公務に出てきた雅子妃。この非常識な行動が原因で秋篠宮家の新たな懐妊は10年以上停止する。秋篠宮両殿下のご心情はいかばかりだっただろうか。

※涙目公務の翌日の1994年5月13日 戦没殉職船員追悼式にて花束を捧げる雅子妃。横目となぜか含み笑いの口元に注目


