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上杉鷹山に学ぶ政治家と官僚の心構え

上杉鷹山に学ぶ政治家と官僚の心構え


上杉鷹山は高鍋藩主秋月種美の次男として、高鍋藩江戸屋敷で生まれた。幼名は直松で、幼少時から頭が良くて評判の子供だった。しかし、江戸時代の体制下においては、どんなに優秀であっても、次男が長男を差し置いて家督を継ぐという事は有り得なかった。本来ならば部屋住みの次男坊として一生を終えてもおかしくはなかったが、9歳の時に転機が訪れる。米沢藩十五万石、上杉重定の養子に内定し、日向高鍋藩二万七千石から、一気に十五万石の大名家の家督を継ぐ事になったのだ。1766年、数え年16歳になった直松は、将軍徳川家治(いえはる)の前で元服し、将軍の一字を頂き治憲(はるのり)と名を改める。そして翌年、重定が隠退し、17歳となった治憲は上杉家の十代目の家督を継ぎ、第九代米澤藩主となった。だが、これは治憲にとっては、15万石の太守という肩書きとは裏腹に、苦難に満ちた人生の始まりでもあった。


当時の米沢藩は、120万石から30万石、さらに15万石に減封されたにも関わらず、120万石の時から家臣を一人もクビにしていなかったので、藩の財政が破綻し切っていたのである。見渡す限りの荒れ果てた土地、廃虚のような家々。人々の心は荒み、その荒廃ぶりに治憲は驚かざるを得なかったからだ。


江戸から初めて米沢に向かう途上、治憲はカゴの中で傍にあった煙草盆の炭に目をとめると、その消えかかる残り火を熱心に吹き始めた。そして火が起こったのを確かめる彼を怪訝そうに見つめていた家臣達に次の様に説明した。

「まさに消えかかろうとする炭火でも、辛抱強く吹き続ければ明るい火を起こす事ができる。同じ様に、この国と領民が生まれ変わらない事があろうか。今や大いなる希望が我が胸に甦った。私は、この炎を消さぬ」

灰の中から残り火が再び燃え立つ様子に米沢藩再興の希望を見出し、治憲は大改革を実施する決意を固めたと伝えられている。


治憲は米作以外の殖産興業を積極的に進め、寒冷地に適した漆(うるし)や楮(こうぞ)、桑、紅花などの栽培を奨励。漆の実から塗料をとって漆器を作り、楮からは紙を、紅花の紅は染料、桑で蚕を飼い、生糸を紡いで絹織物に仕上げた。貧しい農村では、働けない老人は厄介者として肩身の狭い思いをしており、そこで治憲は老人たちに、米沢の小さな川、池、沼の多い地形を利用した鯉の養殖を勧めたのである。やがて美しい錦鯉は江戸で飛ぶように売れ始め、老人達も自ら稼ぎ手として生き甲斐を持つ事が出来る様になった。


また治憲は、万代にわたる繁栄の為には、教育が不可欠と考えていた。「教育がなければ人間は盲目になる。権威・権力の奴隷になって使われてしまう」

「興譲館(こうじょうかん)」と名付けた学校を建て、自分の恩師である細井平洲(ほそいへいしゅう)を講師として江戸から招き、身分に関わらず、多くの領民に教育の機会を与えたのである。


そして治憲は武士達にも、自宅の庭で作物を植え育てる事を命じたのである。百姓の真似事をさせるのかと武士達は怒り、重臣七名が打ち揃って、諫言の書状を呈示して治憲に迫ったり、病気と称し自邸に引き篭って政務は停滞状態となったりもした。そんな中、治憲は首謀者を厳しく取り締まる一方、自ら改革の模範を示した。年俸一五〇〇両を一気に二〇〇両まで減らし、日常の食事は一汁一菜、衣服は綿とし、五〇人いた女中を九人に減らし、そして刀を鍬に持ち替えて土地を耕し始めたのである。やがて治憲の改革に共鳴して、貧困に喘いでいた下級武士達の中から自ら荒れ地を開墾して新田開発に取り組む者も出始め、家臣の妻子も養蚕や機織りに携わり、改革は大きな成果を挙げるようになった。


こんな逸話も伝えられている。ある時、治憲が参勤交代で、江戸から帰ってくる頃、米沢城外の松川に架かっている福田橋は傷みが酷くて修理が必要だったのにも関わらず藩からは修理費が出せず、そのままになっていたその橋を、急に突然、二~三十人の侍たちが、肌脱ぎになって修理を始めたのである。橋がこのままでは、農民や町人がひどく不便をし、その事で藩主は心を痛めるであろう。それなら、自分たちの無料奉仕で橋を直そう、と下級武士たちが立ち上がったのだ。「侍のくせに、人夫の真似までして」とせせら笑う声を無視して、武士たちは作業に打ち込んだ。やがて江戸から帰ってきた治憲は、修復した橋と、そこに集まっていた武士たちを見て、馬から降り「おまえたちの汗とあぶらが沁み込んでいる橋を、とうてい馬に乗っては渡れぬ」と言って橋を歩いて渡った。武士たちが感激したことは言うまでもない。そして治憲は武士達が「農民や町人の為に」という精神を実践し始めたのを何よりも喜んだのであった。


1785年、治憲は35才の若さで、前藩主重定の息子・治広に藩主の座を譲り、引退したが、その引退にあたり、君主の戒めとして「伝国之辞(でんこくのじ)」を治広に与えた。


一、国家は先祖より子孫へ伝え候 国家にして我私すべきものには是なく候。
(一、自らの利益の為に、国家を用いてはならない)

一、人民は国家に属したる人民にして、我私すべきものには是なく候。
(一、自らの利益の為に、人民を用いてはならない)

一、国家人民の為に立たる君にて、君の為に立たる国家人民には是なく候。
(一、人民の為に君主があるのであり、君主の為に人民があるのではない)


これはアメリカ独立宣言の9年後、またフランス人権宣言の4年前の事である。これだけ素晴らしい理念をもった偉人が過去の日本には存在し、口先だけではなく、実際の行動によってそれを示していたのである。ジョン・F・ケネディが、尊敬できる日本人として名前を挙げた上杉鷹山を 日本人はもっと知らなければならないと思う。


その後の米沢藩だが、治憲が進めた藩政府の政策の真価は天明の大飢饉の際に発揮されることになった。天明2(1782)年、長雨が春から始まって、冷夏となり、翌3年も同じような天候が続いたのである。米作は平年の二割程度にまで落ち込み、全国に多大な餓死者・病死者が発生。その時、治憲が陣頭指揮をとり、藩政府の動きは素早い対応であった。

『藩士・領民の区別なく、一日あたり、男・米3合、女2合5勺の割合で支給し、粥として食べさせる』

『酒・酢・豆腐・菓子など、穀物を原料とする品の製造を禁止』

『比較的被害の少ない酒田、越後からの米の買い入れ』

藩主以下、上杉家全員も領民と同様、三度の食事は粥とし、それを見習い、富裕な者たちも貧しい者を競って助けたと伝えられている。全国三〇〇藩で、領民の救援をなしうる備蓄のあったのは、わずかに、紀州、水戸、熊本、米沢の四藩だけであったと伝えられている。


近隣の盛岡藩では人口の2割にあたる7万人、人口の多い仙台藩にいたっては30万人の餓死者・病死者が出たと言われているが、米沢藩では餓死者においては一人も出ることはなかった。

それだけでなく、治憲は苦しい中でも他藩からの難民に藩民同様の保護を命じており、江戸にも飢えた民が押し寄せたが、幕府の調べでは米沢藩出身の者は一人もいなかったと伝えられている。


米沢藩の業績は幕府にも認められ、「美政である」として三度も表彰を受けている。長年、米沢藩を苦しめた11万両の借金が全て返済され、更に5千両の黒字になったのは、「鷹山」と名を改めた治憲が72才で世を去って、1年が過ぎた文政6年の事であった。財政再建策の他にも、数々の福祉、敬老政策を実施した鷹山は、領民達からは慈父のように敬われてた。鷹山が他界した際には、領内、到る所に号泣、慟哭が満ち、山野は悲しみに包まれたと伝えられている。


関連リンク

http://hi-speed.hp.infoseek.co.jp/uesugi-1.htm

http://e-yone.jp/backnumber/yozan/index.htm


上杉鷹山は、自分も童門冬ニの小説を読み、とても感銘を受けた人物の一人である。本来ならば、日本の紙幣のモデルや、教科書に紹介されても良い程の人物だが、一時的にブームにはなったものの、その後忘れ去られている感がある。日本の政治家と公務員は全員、上杉鷹山の伝記を一度は読むべきだと思うし、鷹山の偉業は日本人にもっと知られるべきだと個人的には思っている。鷹山の政治思想は『民富』。つまり領内の農民を豊かにするという、封建時代においては当時の政治思想の流れに逆行する徳の政治であった。個人主義がはびこり、政治家と官僚が私利私欲に走る現在の日本は、既に鷹山の政治思想からはほど遠い状況である。アメリカの日本への要望を無条件に受け入れ、サラリーマンや派遣社員を締め付けて企業経営者だけが甘い汁をすする。また、反日の朝鮮人に無駄な税金を投入したり、日本の敵国である中国や韓国に援助を与え、その分、国民の税金を引き上げ、国民の生活を圧迫する。もはや、日本の政治は政治というよりは、特定アジアと米国によって操られる出来の悪い人形劇を見ているようだ。左翼が戦後進めてきた、自虐的な世論の形成と、指向性を持たない個人主義の成れの果てが現在の日本の姿であり、こういう時代だからこそ、上杉鷹山の精神が見直される必要があると思うのは自分だけだろうか?

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Comment

2008.10.14 Tue 15:06  

今の日本に必要なのは上杉鷹山の思想だということを
痛感しました
  • #Se39aWuM
  • ある
  • URL
  • Edit

2009.06.30 Tue 16:53  

鷹山の消えそうな炭火を辛抱強く吹き起こす逸話は、純真で直向きな姿を彷彿とさせます。日本の政治家に
鷹山の精神が失われて久しい。もう一度日本人は教育からやり直さねばならないと感じます。
  • #-
  • nanashi-san
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